仏ヶ浦(5)


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江戸時代の“旅行作家“にして本草家、医師、学者と言っても良いほどの博学の人に菅江真澄(すがえますみ)という人がいた。
地方新聞『東奥日報』には時々その名を見つけることができる。
菅江真澄は寛政四年(1792)から五年にかけ都合三度か四度仏ヶ浦を訪ねている。磯伝いに徒歩で、またある時は小舟に乗り
この場所を観察し歌も詠んでいる。「仏ヶ浦という磯部の石群は、竹の子がならび生えたようなさまで、あたかも大工がけずり
出したかのように、これらの岩が仏に似ていた。」と遊覧記に書いている。よほど仏ヶ浦が気に入ったと見える。
真澄は蝦夷からの帰りに下北半島に立ち寄り、この地に二年以上滞在しているのだ。遊覧記には、田名部や佐井村、脇の沢の家々
に世話になっていたことが書かれている。







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# by kame-fukusima | 2017-08-24 05:00 | 下北紀行