カテゴリ:京都御所( 8 )







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いつかは書院造りの家に住んでみたいと夢を見る(どこかで聞いたような・・・)
いつものことだが定点観測のように、庭園といい建物といい同じところを撮影している。
よくもまあ飽きもせずに撮影している、と人ごとのように思う。仕事柄、国宝や重要文化財
である建物に出入りすることはある。書院造り、寝殿造りの魅力とそこでの生活の大変さも
人よりは感じている。
書院造り・寝殿造りの屋根には日本古来の茅葺き屋根に通じるものがある。伊勢神宮の簡素
な屋根の美しさ、白木を用いた掘っ立て小屋風の造作には眩しくて言葉も出ない。
茅葺き屋根の家には、今でも住んでみたいと思っている。それは今の時代では大変贅沢なこと
に違いない。裕福な人が“茶室”と称し、選りすぐりの材料を用いた数寄屋造りの建物の中で茶
を点て“ワビサビ”を論じる。一期一会と称し贅沢な“おもてなし“をする。それも良いだろう

子供の頃、こんなことがあった。小学校の授業を終え仲の良い友達の家に寄った時のこと、
周囲がたんぼばかりの中に一軒の茅葺き屋根の小さな家があった。その家には父親の姿は無く
母親一人に子だくさんの家庭だった(たしか生活保護を受けていたことを親から聞いていた
覚えがある)。その家でお昼ご飯をご馳走になったのだ。囲炉裏に黒い鉄鍋を掛け薪をくべて
“おじや“を作ってくれた。木の器によそってくれたおじやを食べようとすると、窓から顔を出し
こちらの様子を見ていた近所の悪ガキどもが「食うな食うな」「下呂だ下呂だ」と騒ぎ立てる。
あまりに酷いことをいうので友の兄が怒って悪ガキどもを追いかける、ということを幾度かくり
返した。
そこで食べた“おじや“の美味しかったこと。私の人生の中で、あれ以上に美味しい食べ物は無かった。
これは断言してよい。嘘偽りはない。これが“おもてなし“を受けた最初の経験かも知れない。

茅葺き屋根の下で産湯を使い、その屋根の下で東京オリンピックの年まで生活していた。
家を建替えるというので中学校から帰ると、すでに茅葺き屋根の家は消えていた。
「○○君、家が無くなっちゃたわ・・・」と私の姿を見つけて近所のおばさんは言う。私は言葉が
出なかった。妙に切なくて、家の建っていた地面を見つめ放心状態だった、と当時を思い出す。
新しい家に住める、と家族全員で家のプランを立てた、快適な生活ができると束の間の夢を見た。
しかし、なぜか快適であった家での思い出は浮んではこない。

寒い冬の朝、起きてすぐに炬燵に入り背を丸くして暖をとる。母が早くから起き、家族の食事
を用意し、練炭を熾して炬燵をつくってくれている。風が強い日には、天井を張っていないので
煙出しからは雪が容赦なく吹き込んでくる。風趣があるといって歌を詠む余裕はなく、ただただ
寒さに震えていた。
秋、囲炉裏に薪を燃して暖をとる。熾きが爆ぜ火の粉が飛び、目からは煙責めに遭い常に涙が
流れる。楽しいことは、いろり端で田楽を焼き、味噌だれを付けた甘い田楽を食べることだった。
しばらく経ち、また作ってと頼むと「固い木綿豆腐が手に入らない」という。僅かな期間で昔から
続いていたものが次々に失われていく。
秋から冬にかけては、居間や土間で夜なべ仕事を全員が行う。家畜の飼料用か来年の種用か
思い出せないが、干し終えたトウモロコシを軸と実に分ける。夜の仕事は長い期間あるのだった。
テレビも無い、スマホも無い、パソコンも無い、という時代だったから出来たのか。
勉強しろ、勉強しろ、と言われてもそんな環境では出来るわけがない(言訳です)。子供ながらに
辛い作業ではあったが、周りの子供も似たり寄ったりの生活環境であった。

茅葺き屋根の家での、そんな思い出ばかりが次々に浮んでくるのである。辛かったことは忘れている。
現代では、新しい家といえば、日本全国どこも似たり寄ったりの家の意匠、吹き抜けのある家、
和室の無い家、空調の利いた快適な家である。そんな環境で育った現代の子供達には、
いったいどのような家の思い出が残るのであろうか。





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by kame-fukusima | 2017-09-19 05:00 | 京都御所






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四季折々、京都御所のお庭を拝見しているが、実のところ夏のお庭にはさほど期待はしていなかった。
雨の降る日はどのようなものかと思い立ち、開門と同時に御池庭(おいけにわ)、御内庭(ごないてい)
へと歩みをすすめた。欅橋、土橋がいつもの場所で出迎えてくれる。お約束どおり素敵な姿をカメラに
収める。なかでも私のお気に入りは土橋(どばし)である。木製の橋の渡り板に土と白い玉石を被せた
もののようである。土からは草がこぼれるように咲き競い(?)、なかなか風趣があってよい。
いつかは、この橋を渡って向う岸にある茶室で薄茶をいただきたいものだと夢を見る。
また、遣り水の流れる御内庭の北あたりの佇まいが目に心に優しい。人の手は入っているけれど自然な
趣きは僅かに残してある。夏のあいだ、天皇は暑い京都の夏をこちらにある“御涼所“(おすずみしょ)
で過ごしたという。

夏に咲く花といえば芙蓉、百日紅、夾竹桃を思い浮かべるが、中でも芙蓉は私のすきな花である。
薄紅色より白い花に見惚れてしまう。不思議なことに実物よりも絵に描いたものの方が素敵に見えるのは
どういうわけだろうか。よくよく観察してみると、この木は意外にも強い生命力を持っていることが分る。
百日紅の大樹を京都御苑のあちこちで見ることができるが、御所の庭園内でも幾本か見かけた。この花は、
いざ撮影を試みるとなかなかに手強い相手である。ちっともスキを見せない。近づいても、離れても、
秋波を送ってはくれないのである。ついには撮影を諦めて退散してしまう。ところが御所の庭のなかでは、
さほど目立ちもせず、かといって存在感を失わず風景の一部となり艶やかな姿を見せているのだ。
水面には散った花びらとともに薄紅色の花が映っている。この色が夏の単調な庭園に生きている。
さしずめ主役を引き立てる名脇役というところか(女優に例えるなら樹木希林、 いやちがうなぁ、そうだ !
“ 京都人の密かな愉しみ ” に出ていた常盤貴子の母役 ー 銀粉蝶で決定)。
さて、花の写真となればお約束の露伴翁の言葉である (^^;)
百日紅について語っている箇所があるので、長くはなるが是非とも紹介したい。読めば頬が緩むこと間違いなし。


「猿滑りとは基幹の攀ぢがたく見ゆるよりの名なるべく、百日紅と呼び半年花と呼ぶは
其花の盛り久しきよりの偁なるべし。
雲の峯の天にいかめしくて、磧礫(こいし)も火炎(ほのほ)を噴くかと見ゆる夏の日、
よろづの草なども弱り萎るる折柄、此花の紫雲行きまどひ蜀錦砕け散れるが如くに咲き誇りたる、
梅桜とはまた異るおもむきあり。
掃へど掃へど又しても又しても新しく花の散るとて、小僮(わっぱ)はつぶやくべけれど、
散りても散りても後より後よりと新しき花の咲き出づるは、主人(あるじ)がよろこぶところなるべし。
木ぶりの痩せからびて老いたるものめきたるにも似ず、少女などのやうに、
人の手のおのが肌に触るれば身を慄はしておののくは如何なる故にや。をかし。」






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by kame-fukusima | 2017-09-17 15:00 | 京都御所










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藤袴、と漢字で書いてみたい花のひとつである。花言葉は知らない。
わが師、蝸牛庵の主人はこの花のことを語ってはいなかったように思う。

未明からの雷鳴と雨の降る音で目が覚めた。いまでは野分といっても意味が通じないであろうか。
夏の一日、京都御苑もしくは京都御所で大雨の降る日、それも雷鳴の轟く日に写真撮影に出かけて
みたいと思っていた。しかしその願いは適わなかった(機会は二度ほどあったのだが)。その理由は
ハッキリしている。ただただ怖じ気づいてしまったからである(以前なら、こんな日には
オフロードバイクを駆って嬉々として京都北山の悪路を探し探し走ったものだが)。

雨が小降りになったのを見計らい京都御所へ散歩に出かけた。この時期なら人も少ないであろう、
という読みもあった。はたして周りを見渡すと人は少なめだが、日本人は私ひとりであった。
この近辺ではなんの不思議もない日常の光景である。いつものコースを辿ると回廊が修繕の装いを
している。近ごろ御苑内を走る工事車両が目立つとは思ったが、ここでもかと心が萎える。
御池庭、御内庭へと進むに従い雨が強く降り出した。それに比例し心が騒ぎ出す。
雨傘を左手に持ち、コンデジを右手で構えシャッターを切る。“下手な鉄砲も数打ちゃ当る“
作戦である(こりゃ後の作業が大変だなぁ)。

終盤に差しかかる頃、今まで見たことがない場所に藤袴が咲いていた。その後ろには、
おあつらえ向きに頭を垂れた薄まで。できすぎている、とは思ったが雨に濡れる藤袴の可憐なこと・・・
花の写真はめったに撮らないのだが、この時は撮りたい、という気持ちが勝ってしまった。
『源氏物語』に藤袴という巻があり、源氏の使いで玉鬘のもとを訪れた夕霧が御簾の下から
藤袴を差入れて己の恋心を伝える、という場面があった。そういう場で、見栄えのしない野の花
であるこの花が役に立つのであろうか。




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by kame-fukusima | 2017-09-15 19:22 | 京都御所






おいけにわ
御池庭入口

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おいけにわ・けやきばし
御池庭・欅橋

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この右奥に御舟宿(和舟の格納庫)がある










御池庭

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豊臣秀吉の五奉行のひとり、前田玄以の作庭と伝わる









御池庭舟着・欅橋

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ごないてい・どばし
御内庭・土橋

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右端に献上品の朽木灯籠が見える。あちらこちらに灯籠が点在し清水焼の灯籠(三代清水六兵衛作)もあるという









御内庭・土橋

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橋を渡ると茶室錦台(きんたい)がある











                                御内庭

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御内庭

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     じしんでん
御内庭・地震殿

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地震殿:地震の際避難する柿葺き数寄屋造りの建物。屋根は軽く地震に強い造りという。
地震殿北側には茶室聴雪(ちょうせつ)などがある。残念ながら北側の施設 “奥の院” は非公開

撮影:2015.4
camera:pentax optio s







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by kame-fukusima | 2017-03-19 06:57 | 京都御所



衰えたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。
露台・朝がれひ・何殿・何門などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀・
小板敷・高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。

…徒然草第二十三段


承明門(Jomeimon Gate)
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紫宸殿・左近の桜(Shishinden・ Cerry Tree)

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紫宸殿(Shishinden)

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春興殿(Shunkoden)

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平安京の春興殿は武具などの格納に用いられ、鎌倉末期から神器が奉安されるようになる。現在の春興殿は大正天皇の即位礼に建てられたもの







清涼殿(Seiryoden)

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天皇の日常生活の場が清涼殿、建物の構造は紫宸殿と同じく入母屋桧皮葺きの寝殿造り。床が低く間仕切りが多い点で住居に適するように工夫されている。
時代が下り御常御殿ができると清涼殿も儀式用の御殿になったという(写真は通年公開のもの)








清涼殿東側の回廊(Corrdor)

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清涼殿東側の回廊(Corrdor)

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御常御殿(Otunegoten)

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御常御殿(Otunegoten)

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御常御殿(Otunegoten)

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紫宸殿北東側階段(Stairs)

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紫宸殿には四角に木階があるがそのうちのひとつ










宜陽殿・錠前(Padlock)

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龍泉門-御涼所(Ryusen-mon Gate)

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御涼所(おすずみしょ):京の暑さを涼しく過ごすため、風通しに工夫を凝らした書院造り風の御殿。
東側には龍泉の庭がある。渡廊(わたろう)で結ばれた茶室聴雪(ちょうせつ)へも通じている










御学門所(Ogakumonjo)

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撮影:2015.4
camera:pentax optio s

京都御所の変遷
794年(延暦13年)、桓武天皇により定められた平安京の内裏(皇居)は現在の京都御所から約2kmほど西にありました。しかし、度重なる内裏の焼失により、主に摂関家の邸宅を一時的に皇居とする里内裏が置かれるようになり、1227年(安貞元年)の火災以後は、元の位置に内裏が再建されることはありませんでした。
現在の京都御所は、里内裏のひとつであった東洞院土御門殿に由来するもので1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居に定まり、明治に至るまでの500年もの間天皇の住まいでした。豊臣秀吉や徳川の時代になると、御所周辺には宮家や公家たちの屋敷が集められ、何度も大火に見舞われながらも明治初期の東京遷都まで、大小200もの屋敷がたちならぶ公家町が形成されていました。
                                                                                    …環境省ホームページより引用

平成28年より通年公開されたことにより、春秋の一般公開は無くなったように見受けられます。春秋の一般公開は紫宸殿を周回することができ、また書院造りおよび寝殿造り、趣味の良い障壁画を垣間見ることができ往時の宮中の生活を知ることが出来ました。通年公開により周回コースが短くなったことが少し残念な気がします





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by kame-fukusima | 2017-03-18 07:41 | 京都御所






御内庭
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土橋を中心に一年を通して見る者の眼を楽しませてくれる。
京都御所で一番気に入っているところ













御池庭
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浄土を意識して作庭したかのようである













御三間雪景色
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ひととき雪が止み、青空が顔を見せる











御三間・御常御殿雪景色
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屋根の曲線の美しさが積雪により引き立っている。入母屋桧皮葺きならではの美しさである







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by kame-fukusima | 2017-01-23 08:36 | 京都御所





月華門静寂
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月華門より日華門を望む。日出ずる方角にある門が日華門とは雅かな。
朱色の回廊の柱と新雪のコントラストが美しい。
左上に見える屋根は紫宸殿








回廊ー承明門
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すぐ右側に建礼門がある













 承明門ー紫宸殿
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 誰でも一度はここを通り紫宸殿に向かいたいと思うのではないだろうか











紫宸殿
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「即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。大正天皇・昭和天皇の即位礼も
ここで行われた。入母屋桧皮葺きの高床式宮殿建築で、南面して建てられている。中央に天皇の御座
“高御座”、その東に皇后の御座“御帳台”が置かれている」・・・宮内庁京都事務所リーフレットより引用

左に見える小屋囲いは、“右近の橘”を冬の寒さから守るためと思われる。
“左近の桜”には新雪が花のようにまとわり付いている







小御所
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「諸種の儀式が行われ、武家との対面にも用いられた。寝殿造りと書院造りの
両要素が混合した様式の建物である」

寝殿造りに蔀戸(しとみど)が美しい。
蔀戸は重量があるため、頻繁には開け閉めしなかったのではないだろうか。
東側に御池庭を望み、一年を通じ様々な景色を楽しむことができる。
現代人が寝殿造り・書院造りの建物に住むことはまず出来ないと思う。
障子の隙間から入ってくる北風の寒さといったら、それはそれはとても冷たいものだ。
古の時代、冬の生活で暖をとるには火鉢ぐらいしか無かったであろうに・・・








御池庭
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池を中心とした池泉回遊式の庭園である。手前の雪に隠れた岸は州浜である。
残念ながら庭園への立ち入りは出来ない






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by kame-fukusima | 2017-01-20 08:28 | 京都御所

承明門ー紫宸殿

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御常御殿

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御常御殿

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小御所

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御三間

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柴垣(小御所)

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御池庭

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御内庭

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古井戸

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御学門所

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御常御殿  御三間

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by kame-fukusima | 2016-10-29 09:13 | 京都御所

京都と各地で見かけた光景を投稿します。リンクは自由です。


by kame-fukushima