カテゴリ:古寺巡礼( 35 )





戒 壇

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金堂の西にある戒壇は僧の授戒が行われる場所である。地震や火災により戒壇堂を失うが、
昭和53年に石造の戒壇の最上段にストゥーパが築かれて現在の姿になった。
天平宝字三年(759)戒律の専修道場として律宗総本山唐招提寺が創建された。

戒を授かり僧となるには、三人の師と七人の証人の僧の下で戒律を理解し守ることを誓い、
戒を受けて初めて国家承認の僧侶として認められるという。









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門よりストゥーパを望む








開山堂(平成の御影像奉安所)

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開山堂は、国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、年間数日しか開扉しない和上像に代り、
毎日参拝していただく目的で「御身代わり像」が制作され安置されている。階段左側には芭蕉の句碑がある。







松尾芭蕉句碑

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若葉して おん目のしずく ぬぐはばや

かつて開山堂に和上の御像を拝したときの句である。








鑑真和上御廟入口

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奥にわずかに見える門は東門。門を出ると秋篠川が北から南へ流れている。








参 道

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参道の両側には苔庭が広がり、悠久の時を感ずることができる。









御廟(御廟北側より撮影)

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    日本仏教界の戒律の乱れを正すため聖武天皇が鑑真和上を招聘、受戒戒律のことはひとえに和上にまかされた。
    それをこころよく思わない我が国の僧や貴族もいたであろう。それに対しては、六度目の渡航に成功したように
    不撓不屈の精神で臨んだのに違いない。
    和上とその弟子たちの日本へ寄与した影響は小さくはない。
    享年七十六歳 天平宝字七年(763)五月六日示寂 












                               金 堂

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写真をクリックすると御利益があります109.png









     今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日ちかくなりけるに、

     玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

     『徒然草』第三十三段より






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by kame-fukusima | 2017-08-01 11:31 | 古寺巡礼




     わたしの大和『古寺巡礼』
     大和の古寺を訪ねあるく人はなにを期待して巡礼するのだろうか。
     ある人は物見遊山、ある人はかの寺院のかの仏像に手を合わせるため。またある人は、何か思うところがあって古寺巡礼
     を幾たびもくり返すのであろう。
     いわずとも日本全国いたる所に古寺はある。平安の都であった京都にも誰もが知る古寺が数え切れないほどに存在するし、
     一度や二度は行ったことがあることと思う。であっても、心に残る仏像、印象に残る建物はそうはないであろう。わたし
     には僅かしかない。むしろ庭園の美しさばかりが印象に残っている。

     いったい大和の古寺の魅力は何であろうか。
     仏像のお顔だちが違う、建物が違う、寺院に向かう通りの景色が違う。物さびた築地がある。重厚な造りの民家がある。
     屋根瓦の厚み・形・色合いが違う。田畑を見ても、うねる山並みを見てもどこか懐かしい感じがして胸をうたれる。
     それは電車から眺める景色であってもそうである。
     しかし、いつまでもそれが残っているわけでは無い。わたしが見聞きしているたかだか五六十年の間に、日本の景色が、
     建物が、科学が、(写真機が)、そして人々の精神までが大きく変化してしまった。便利で快適な生活、それは進歩には
     違いないが、何か大きなものを過去に置き忘れてきてはいないだろうか。
     次に予定している“シリーズ“でもそれを考えてみたい。
     
     大和は日本人にとって特別なところなのだと思う。「心のふるさ」とは言うけれど、実はもっと奥深いところに答えが
     あるのだろう。それが今のわたしには分らない。大和とは何か、日本人とは、それを探っていきたいと思っている。




                              境内松林

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       堀辰雄が寝そべって、講堂の片隅にころがっている仏頭みたいに「古代の日々を夢みていたくなる。」
       といったのはこの辺りだろうか。





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                             会津八一 歌碑
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おほてらの まろきはしらの つきかげを

          つちにふみつつ ものこそおもへ



鐘 楼

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はす池 小道の右手の植込みは西室跡




本 坊

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右手の塀が応量坊





応量坊

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本坊前の小道

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本坊築地

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食堂跡

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                            東門より見る境内

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      道から右へ折れて、川とも呼びにくいくらいな秋篠川の、小さい危うい橋の手前で俥を下りた。
      樹立ちの間の細道の砂の踏み心地が、何とはなくさわやかな気分を誘い出す。
      道の右手には破れかかった築泥(ついじ)があった。なかをのぞくと、何かの堂跡でもあるらしく、
      ただ八重むぐらが繁っている。
      もはや夕暮れを思わせる日の光が樹立ちのトンネルの向こうから斜めに射し込んで来る。
      その明るい所に唐招提寺があった。
      『古寺巡礼』より。 和辻哲郎著




九月(ながつき)廿日のころ、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見ありく事侍りしに、

おぼしいづる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。

荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。

       
      :九月二十日のころ、ある人にお誘いをいただいて、夜明けまで月見をして歩いたことがあった。
       その方は、ふと思い出された所に立ち寄って、取り次ぎを請わせてお入りになった。
       荒れた庭に露がいっぱいおりていたが、そのあたりに、わざわざたいたものとは思われぬ香りの匂いがしっとりと薫っており、
       世を避けて静かに住む様子が、実に趣深かった。
        『徒然草』第三十二段より





 







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by kame-fukusima | 2017-07-31 08:01 | 古寺巡礼







講堂(国宝・奈良時代)

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講 堂

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講堂は、和上が唐招提寺を開創するにあたり平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したものである。
平城宮唯一の宮殿建築の遺構であり、すこぶる貴重な存在という。入母屋造・本瓦葺





                            鼓 楼(国宝・鎌倉時代)

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本来は経楼とみられる。一階に和上将来の仏舎利を安置しているところから舎利殿とも称される。右側の建物は礼堂。







礼堂・東室(重文・鎌倉時代)

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南北に長い建物で、従来は僧侶の起居した僧坊であったという。南半分が、西側の舎利殿を礼拝するための礼堂の造りになっている。






                               東室・礼堂

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礼 堂

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馬道(めどう)

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奥の建物は講堂。馬道を境に北が東室、南が礼堂になっている。






東室・礼堂

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                         建物の中央右側に馬道が見える。







雪のおもしろう降りたし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて文をやるとて、

雪のこと何ともいはざりし返事(かへりこと)に、

「この雪いかが見ると、一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、

聞きいるべきかは。かへすがへすくちをしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。

『徒然草』第三十一段

       :雪が趣深く降った朝、ある人のもとに、所用のために手紙を送った際、
        雪のことに何もふれなかった。その返事に、
        「この雪をいかがご覧ですかと、一言のあいさつもないような、そんな粗野なお方の仰せを
        受け入れるわけにはいきません。それにしてもがっかりさせられる御心の浅さです」と言って来たのは、おもしろかった。
        今はなき人の思い出なので、この程度の事も忘れがたい。





 

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by kame-fukusima | 2017-07-30 09:51 | 古寺巡礼






校倉Ⅱ Azekura



                            経 蔵(国宝・天平時代)

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現存する日本最古の校倉









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経蔵と言われているが元々は米倉であった。柱は無く校木の積み重ねの壁構造形式という。
屋根の重みで風雨から身を守っていたのであろう。
建築用材は良質のものではないという。風水害の多い高温多湿の日本では高床式の校倉は最良の選択だったのだろう。









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鼠返し

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下部に見える「への字」形の板は鼠返しのようだ。米倉ならではの造りである。











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校木は一見すると三面体のようだが、大きく面取りした面を入れると六面体ともいえる。










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     人のなきあとばかり悲しきはなし。

     中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしく狭き所にあまたあひして、

     後のわざども営みあへる、心あわたたし。

     日かずのはやく過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。

      『徒然草』第三十段より







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by kame-fukusima | 2017-07-29 20:51 | 古寺巡礼





校倉Ⅰ Azekura



                         宝蔵 - 経蔵(国宝・天平時代)

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境内の東方に天平時代の校倉(あぜくら)が二つ並んで建っている。左側の大きい方が宝蔵、右側の小さいほうが経蔵である。
経蔵は、この地が鑑真和上に下賜される前、新田部(にたべ)親王の邸宅であったときに既に米倉として使用されていたと伝える。
驚くことに正倉院(756年)の校倉より古い建物という。現存する最古の校倉である。









                               宝 蔵

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宝蔵の内部は中二階式の構造。これは正倉院の校倉などと同様に昔の倉の形式である。当初、切妻造の屋根は寄棟造に改造されたという。










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唐招提寺を訪れる楽しみは二つある。ひとつは、南大門をくぐると優しく出迎えてくれる天平の甍の覆いをかぶった金堂である。
いくど見ても新鮮なおどろきがある上、八本の円柱は思わず掌で撫でたくなるほど懐かしい感じがする。
ふたつ目は、校倉である。天平時代の校倉があるというだけで貴重であるが、それが二棟残っているというのであるから驚くほかない。
残念なことに触れることはできない。近寄りがたい雰囲気はあるがどこから見ても絵になるのは嬉しい。
金堂ばかりが脚光をあびるけれど、黒漆塗りの宝石箱のような宝蔵・経蔵がたまらなく愛しい。1300年前の木材が今なお息づいている。










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しずかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
人しづまりて後、長き夜のすさびに、なにとなき具足とりしたため、
残し置かじと思ふ反古(ほうご)など破(や)りすつる中に、亡き人の手習ひ、
絵かきすさびたる見出でたるこそ、ただその折のここちすれ。
『徒然草』第二十九段より

            :しずかに物思いにふけると、何事につけ、過去へのなつかしさで胸がいっぱいになる。
             人が寝しずまってから、長い夜の手すさびに、気のむくままに道具類を整理し、
             保存する必要のない紙ほごの類を破りすてる時に、故人が手習いに書いた
             文字やたわむれに描いた絵などを見つけると、ありし日にもどったような感じがする。






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by kame-fukusima | 2017-07-28 19:21 | 古寺巡礼






                               金 堂

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       金堂の石段の上に登って、扉の一つに近づいた。西日が丁度その古い扉の上にあたっている。
       そしてそこには殆ど色の褪めてしまった何かの花の大きな文様が五つ六つばかり妙にくっきりと
       浮かび出ている。そんな花文のそこに残っていることを知ったのはその時がはじめてだった。
       『大和路・信濃路』より 堀 辰雄著

       この本を読むまでは扉に花文があることを知らなかった。よほど注意していないと見落とす。







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  中央に本尊の盧舎那仏座像、左右に千手観音・薬師如来の巨大な立像。これらをめぐって梵天・帝釈天・四天王立像の御法神がある。
  堂内上方に描かれた飛天、菩薩やほかの彩色文様が天平の雰囲気をかもし出している。壮観な意匠に圧倒される。
 「仏像は語るべきものではなく、拝むものだ」というが、どういうわけか、私にはこの寺の仏像にはさほど心をひかれなかった。
  きっと信仰心が足りないせいだろう。









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扉の外側に華文様が描かれている。天平のまぼろしか・・・






組 物

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金堂板扉

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丸い凸部は釘隠と思われる。







連子窓(正面)

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金堂東側面

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 連子窓が三箇所ある。








金堂(裏側)

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                             連子窓と扉のみ




諒闇(りょうあん)の年ばかりあはれなる事はあらじ。

倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷を下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額(もかう)あらあらしく、

御調度どもおろそかに、皆人の装束、太刀・平緒まで、ことやうなるぞゆゆしき。

  諒闇:天皇が父母またはこれに準ずる人の喪に服する期間
  倚廬の御所:諒闇の初めに天皇が籠られる仮の御所


         :諒闇の年ほど、感慨深いことはあるまい。
          倚廬の御所のさまなどは特にそうである。板敷を低く造り、葦の御簾を掛け、布の帽額はそまつで、
          道具類も質素で、人々の装束、太刀・平緒までいつもと違っているのは、重々しい感じがする。
          『徒然草』第二十八段





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by kame-fukusima | 2017-07-27 05:00 | 古寺巡礼





大海を思わせるような大きい軒端の線のうねり方、― 特にそれを斜め横から見上げた時の力強い感じ、― そこにはこの堂を
はじめて見るのでないわたくしにとっても全然新しい美が感ぜられたのである。
・・・・・・軒端の線が両端に至ってかすかに上に湾曲しているあの曲がり具合一つにも、屋根の重さと柱の力との間の安定した
釣り合いを表現する有力な契機がひそんでいる。天平以後のどの時代にも、これだけ微妙な曲線は造れなかった。
そこに働いているのはすぐれた芸術家の直感であって、手軽に模倣を許すような型にはまった工匠の技術ではない。
『古寺巡礼』唐招提寺金堂より 和辻哲郎著





                            金堂(国宝)

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天平時代の金堂と講堂が現存するのは唐招提寺だけである。













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奈良時代(8世紀後半) 寄棟造・本瓦葺













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唐招提寺を訪れるのは今回が二度目である。一度目は六七年前、年の暮れも迫る寒い日であったように思う。
長年の願いが適い、南大門を入ると金堂が優しく迎えてくれたように感じたものである。人影もまばらであった。
今回は主に写真撮影が目的だったので、参拝もそこそこに鞄からカメラを出し撮影を始めたのはよいが、いささか興奮
気味なのと被写体に圧倒されてサッパリ構図が決まらない。境内を二巡り三巡りしたあたりから漸く落着きを取戻し、
撮影に没頭することができた(天平期の建造物おそるべし)。

前回は、コンパクトデジカメを用いて気負いもなく二三十枚は撮影しただろうか。
今回は、同様にコンデジとボディにダメージのあるd3300にオールドレンズ(Ai2.8/24)を試してみた。
オールドレンズ(とはいってもは40年前のものか)の絞りをf8、被写界深度は遠景用に深めにしてテープで固定。
露出は撮影後の液晶画面を見て手動で適当に・・・
その結果分ったことは、天気の良い日は期待以上の写りだが、曇りや雨の日にはボヤッとした写りで入門機には
使いこなしが難しいと判断せざるを得なかった。色味はアンバーがやや強めに出るように思う(参考までに)。












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西側面

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東側面

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御国(みくに)ゆづりの節会おこなはれて、剣璽・内侍所(けんじ・ないしどころ)わたし奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
新院のおりさせ給いひての春、詠ませ給ひけるとかや、
殿守(とのもり)のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。
かかる折りにぞ、人の心もあらはれぬべき。
『徒然草』第二十七段

        :御譲位の節会が行われて、剣・璽・鏡の三種の神器をお渡し申し上げる折は、このうえなくさびしいものである。
         新院が位をお退きになった年の春、次のようにお詠みになったという。
         主殿寮の役人たちが、無視して掃除をしないこの御所の庭に、落花が一面に散り敷いている。
         新しい世の政務が忙しいのにまぎれて、新院の御所には参る人もないのが、いかにもさびしい感じである。
         このような時に、人の心の深浅が現れるはずである。






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by kame-fukusima | 2017-07-26 05:00 | 古寺巡礼






唐招提寺の金堂を訪れた人は、誰しもその見事な円柱に心をとめるであろう。

円柱が全姿をあらわに並列しているのは、大和古寺のなかでもこの寺以外にはない。

『大和古寺風物詩』より。亀井勝一郎著




金堂円柱

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金堂(国宝)

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       風も吹きあえずうつろふ人の心のはなに、

       なれにし年月を思へば、

       あはれと聞きし言の葉ごとにわすれぬものから、

       我が世の他になりゆくならひこそ、

       亡き人の別れよりもまさりて悲しきものなれ。

       『徒然草』第二十六段より

               :風に吹かれてうつろう桜の花よりも、人の心はなおもはかないという。
                その人の心を信じて愛をかわしていた日々を思うにつけ、しみじみとした気持ちで聞いた、
                いとしい人の言葉はどれも忘れられない。
                が、そのような相手もやがて自分とは別の世界の人になってゆくのが世のならわしである。
                それは、人との死別にもまさって悲しいものである。







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by kame-fukusima | 2017-07-25 05:50 | 古寺巡礼






龍心池


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石橋の名は跨龍(またぎりゅう)橋、奥に見える池中央の岩を中島としている。
中島は池から背を見せた龍のようにも見えるという。












相阿弥の庭(龍心池)

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奥に見える建物は茶室・好文亭。1993年放火により焼失したが現在は再建されている。
この写真は1990年頃に撮影したもの。奇しくも大原寂光院本堂も撮影後に放火により焼失。











華頂殿 ー 渡廊下 ー 小御所

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        投稿した写真は、そのほとんどが三十年ほど前に撮影したものです。
        心にとまった景色を気の向くままに撮影するのが当時の私の“流儀“でした。
        発表することなど考えていませんでした。ですからまとまりの無いものに
        なっていることは否めません。
        今思えば、あれも撮っておけばよかったと思うのですが、当時の私には
        目に入らなかったのでしょう。ガイドとしては未熟な出来ですが、
        ある時代の記録として少しでも役に立てば光栄です。

        ニコンNew FM2(Ai 2.8/28)・TMAX400
        New Mamiya6(G3.5/75L)・ポジフイルム名失念
        ニコンD3300(Ai2.8/24)・長屋門・楠の二枚のみ(カラー)





                              大 楠

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            青蓮院には樹齢800年(撮影時は770年?)のクスノキが五本ある。親鸞聖人お手植と伝わる。








          飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しびゆきかひて、

          花やかなりしあたりも人すまぬ野らとなり、変らぬすみかは人改まりぬ。

          桃李もの言わねば、誰とともにか昔を語らん。

          まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。


               :古歌にうたわれる飛鳥川の淵瀬のように、世の中は無常なものである。
                時勢が変って、さまざわの幸不幸の訪れとともに歳月が移ろって行く。
                そのうちに、花やかであった土地が、人の住まぬ野原となり、
                おなじ家が残っていても、住む人が変ってしまう。
                桃や李(すもも)は昔のままだが、彼らは物を言わない。
                いったい、だれと昔を語ることができよう。
                わけても、見たこともない遠い時代の尊い方が住んでいたという跡は
                実にはかない感じがする。
                『徒然草』第二十五段より






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by kame-fukusima | 2017-07-24 19:25 | 古寺巡礼







小御所

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本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺きの建物。平安時代末は門主の居間であったという。
後櫻町上皇が青蓮院を仮御所としてお使いの際、上皇もご使用になった建物である。
但し明治に焼失した為、江戸中期の建物を移築している。















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宸 殿

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入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。
明治26年(1893年)に焼失後復興。 宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行う。
有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代尊儀の在ます所の意味である。
親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所でもあり、「お得度の間」ともいう。
今、杉苔に覆われた宸殿の前庭は本来白砂を敷いていたものである。












小御所

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宸 殿

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           斎王の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事のかぎりとは覚えしか。

           「経」・「仏」など忌みて、「なかご」、「染紙」などいふなるもをかし。

           すべて神の社こそ、すてがたく、なまめかしきものなれや。

           :斎王が野宮にいらっしゃるおりの有様ほど優美で趣き深いものはない、と思ったものである。
            経や仏などの類を忌んで、それらを「なかご」「染紙」などと呼ぶそうだが、それもおもしろい。
            すべて、神社は捨てがたい風情があり、優美なものである。
                『徒然草』第二十四段より





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by kame-fukusima | 2017-07-23 18:26 | 古寺巡礼