祇園祭今昔 最終章






山 鉾 巡 行



f0374885_18334566.jpg












f0374885_18341698.jpg







f0374885_18343898.jpg







f0374885_18345635.jpg







f0374885_18351848.jpg







f0374885_18354176.jpg







f0374885_18405188.jpg







f0374885_18411051.jpg







f0374885_18412963.jpg







f0374885_18414944.jpg







f0374885_18421229.jpg







f0374885_18424266.jpg







f0374885_18430775.jpg







f0374885_18433526.jpg







f0374885_18435395.jpg







f0374885_18441136.jpg


      山鉾は巡行が終るとすぐに解体され、倉の中に仕舞われる。
      そのわけは、山鉾巡行で疫神を呼び寄せ、懸装品などとともに倉の中に封じ込める意味があるとのこと。

      『山鉾巡行は本来、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「前祭(さきまつり)」と
      還幸祭の「後祭(あとまつり)」がある。高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の
      合同巡行が続いていたが、祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定。2014年、約半世紀ぶりに後祭の
      山鉾巡行が復活した』・・・京都新聞より引用
      後祭の山鉾巡行は7月24日である。

      祇園祭が終る頃、梅雨が明け蒸し暑い京都の夏は少しはマシになった気がするが、八月に入ると
      まだまだ気温は上昇する。

      「蘇民将来子孫也」










[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-16 05:00 | 祇園祭

祇園祭今昔 第3章





山鉾巡行当日

f0374885_17584637.jpg









f0374885_18031295.jpg









長 刀 鉾

f0374885_18033279.jpg

           くじ取り式で決定した山鉾巡行順位に従い、奉行(市長)が順位を確認したあとに巡行する。
           先頭はいつも長刀鉾と決まっている。
           『山鉾の中で、四条通の最も東に立てられる長刀鉾が動かないと、他の山鉾は四条通を東進できない。
           だから、長刀鉾は「くじ取り式」(7月2日)でくじを取らない。あらかじめ順番が決まっている
           「くじ取らず」』とのこと。







f0374885_18035824.jpg









f0374885_18042201.jpg









f0374885_18044544.jpg









f0374885_18051541.jpg











[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-15 05:00 | 祇園祭

祇園祭今昔 第2章の2




宵 山


f0374885_17524435.jpg






f0374885_17531908.jpg






屏 風 祭

f0374885_17534491.jpg






f0374885_17541897.jpg






f0374885_17544087.jpg






f0374885_17550557.jpg






f0374885_17553265.jpg






f0374885_17555498.jpg






f0374885_17562494.jpg






f0374885_17564573.jpg






f0374885_17570758.jpg




           「山鉾巡行」は動く美術館とも言われ、この「屏風祭」は静の美術館とも言われています。
           各山鉾町では「屏風祭」をしつらえるお家も少なくなりましたが、続けられているお家は
           表の格子を外して秘蔵している屏風や美術品、調度品などを飾り、祭り見物に来た人々にも、
           通りから鑑賞してもらえるようにしています。山鉾町の洗練された伝統を守り、文化を大事に
           したいとの思いで行われ、山鉾見物に合わせ見逃せない宵山期間中の催しのひとつです。
           飾られるものに屏風が多いため「屏風祭」と呼ばれています。
           ※屏風祭は祇園祭の公式行事ではなく、一部有料のお家を除き、個人宅や会社が個別に行って
            いるものですので、お家に迷惑をかけないよう、節度を守ってご鑑賞下さい。
            京都観光ガイドより引用







[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-14 16:00 | 祇園祭

祇園祭今昔 第2章の1






宵山

f0374885_17352419.jpg







f0374885_17354942.jpg








f0374885_17361591.jpg






f0374885_17363758.jpg






f0374885_17370378.jpg






f0374885_17372692.jpg






会所

f0374885_17375425.jpg






f0374885_17381576.jpg






f0374885_17383543.jpg







f0374885_17393248.jpg






f0374885_17400240.jpg






懸装品

f0374885_17403205.jpg






f0374885_17405687.jpg






f0374885_17412144.jpg






f0374885_17414277.jpg






[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-14 05:00 | 祇園祭

祇園祭今昔 第1章の4




護 摩 焚 き 


f0374885_16362270.jpg


毎年7月15日、聖護院の山伏が家内安全・無病息災を願い護摩を焚く。






f0374885_16364332.jpg






f0374885_16370248.jpg






f0374885_16372203.jpg






f0374885_16374716.jpg






f0374885_16382439.jpg






f0374885_16390500.jpg







西ノ覗の行場

f0374885_10062808.jpg





山上ヶ岳より見る夜明け

f0374885_10071257.jpg





        山伏の服装
        宗派によって違いはありますが、山伏は鈴懸といわれる法衣を着ます。
        この鈴掛は山へ入り修行する人達が着用する衣躰です。
        山伏の着ている鈴懸や肩にかけている結袈裟をみると、何宗の行者か、僧侶か、在家か、得度をしているか、
        修行の度合いは、さらには偽山伏かどうかまで分かる様になっています。
        それだけ厳密に規制されていた衣躰だけに、袈裟を着用するにも本山より”袈裟許”をもらってからでないと、
        使用する事は出来ませんでした。
        この鈴掛は、カッパの無い時代に、少々の雨では体まで濡れない、乾くときの気化熱で体が冷えない等結構山歩き
        に適した服装なのです。・・・聖護院ホームページより引用


        余談だが、三十年程前に山伏が修行するという奈良県にある山上ヶ岳(女人禁制)に登り、
        この目で山伏の修行見たことがある(私は考えるところがあり一人で修行を行っていた
        ・・・いったい何の修行やら)。
        たしか“西ノ覗”というところで高さ優に百メートル以上はある切り立った断崖絶壁の
        上から縄で身体を括られ、逆さ吊りになり修行をしていた。いかつい男であっても顔
        は青ざめ“問答”のあいだは声はうわずっていた。数人の縄を持つ山伏は、間隔をおいて
        一瞬縄を持つ手を離す。これには大の男であってもびびるようである(傍から見ている
        とどうということ無いように見えるのだが、行をしている者の顔色は赤くなったり、
        青くなったり必死の形相である)。
        見る人によっては、先達て世間で話題になったパワハラと思ってしまうのではないかと、
        いらぬ心配をしてしまう。

        夜は山頂にいくつかある宿坊で、山伏と雑魚寝をした覚えがある。布団は限りなく重く、
        世の中には鉛のように重たい布団があることを思い知った。これではまるで“行”ではないか
        と思ったものである。もとい、これも行であったことを失念していた。
        あの布団の重さは一生記憶から消え去ることは無いであろう。

        この時は四日間の“奥駆け”に挑戦し前鬼(ぜんき)まで行く予定であったが、弥山の小屋に
        泊まった三日目の朝、外に出ると早くも台風の影響で霧と雨風が強く、奥駆けは中断し洞川
        (どろがわ)の集落に逃げ落ちる道を選んだ。前鬼の宿坊へは、奥駆けは中止すると衛星電話
        で連絡をしたのは言うまでもない。

※前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)は、修験道の開祖である役小角(えんのおずね)が従えていたとされる夫婦の鬼で、
前鬼が夫、後鬼が妻と言われている。現在でもその子孫を名乗る五鬼助(ごきじょ)さんが前鬼の宿を守っている。






[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-13 17:11 | 祇園祭

祇園祭今昔 第1章の3






縄がらみ

f0374885_16320521.jpg







傘鉾

f0374885_16322520.jpg






f0374885_16325487.jpg







稚児(人形)

f0374885_16332136.jpg


生稚児(いきちご)を乗せるのは長刀鉾だけとなった。





[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-13 08:26 | 祇園祭

祇園祭今昔 第1章の2





船鉾

f0374885_16214499.jpg






f0374885_16221197.jpg






f0374885_16223655.jpg






f0374885_16232270.jpg






f0374885_16240622.jpg






[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-12 19:22 | 祇園祭

祇園祭今昔 第1章の1




       祇園祭とは
       豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
       古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都を
       はじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、
       当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに
       神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
       祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」
       で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。
          八坂神社ホームページより引用


       鉾建(7月10日~)
       各鉾町それぞれに鉾の組立てにかかる。

f0374885_13253876.jpg






f0374885_13255881.jpg






f0374885_13261934.jpg






f0374885_13264675.jpg






f0374885_13271018.jpg


      “祇園祭今昔”としたわけは、ほとんどの写真が1980年代後半に撮影したものであるからです。
      先達て物置を整理していたところ、出てきたネガファイルの中にこれが有りました。一度は
      日の目を見せてあげたいと思い投稿する次第です。
      これより古い写真は世の中にたくさんあるでしょうし、祇園祭全体を記録したもの、
      また優れた写真は他にたくさんあることでしょう。
      これは 「わたしが見た祇園祭」 なのです。祭のほんの一部しか記録していませんが、
      記憶の片隅に残像として記憶していただければ嬉しいです。
      記録としての意味合いから人物にはモザイクをかけていません(お許し願います)。
      数回に分けてお届けします。





[PR]
by kame-fukusima | 2017-07-12 05:00 | 祇園祭