閑話 その参







今夜もひとり酒

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                     絵唐津のぐい呑みと薩摩黒じょか(長太郎本窯)




今夜もひとり酒。年齢を重ねると外でお酒を飲む回数が少なくなってくる。
二十代の頃は、“ブルーノート” 、“厭離穢土”、“サンタクロース”、“キエフ”
(お登紀さんの尊父と隣同士で飲んでいたこともあった)などでそれこそ
三四時間は飲み続けていたものだ。それも今は昔……
で今夜用意したお酒は、“〆張鶴”の絞りたて原酒。アルコール度数20度という
強者である。新酒の時期だけの販売という。

〆張鶴の名は知ってはいたが今まで飲む機会がなかった。今回、破格ともいえる
リーズナブルな価格と原酒という表示に惹かれ購入してみた。好みの酒質で
あった。淡麗とはほど遠い濃醇な味わい。ロックでもぬる燗でも合う。ただし
鉄のような胃袋を持ち合わせていないと後で胃に変調をきたす恐れがある。

合わせる酒器は絵唐津のぐい呑みに黒じょか。黒じょかは焼酎を飲む際に使う
物だが燗酒や冷酒にも合う。これでウイスキーを飲むバーのオーナーもいると聞く。

今夜かける音楽は、グレン・グールドの弾くブラームス “ 間奏曲集 ”
彼の弾くバッハの “ ゴールドベルグ変奏曲 ” も好きだが、今夜はこのレコードを
ターンテーブルに乗せる。カートリッジは今では古いタイプに分類されるオルト
ファンのもの。
全曲ロマンチズムに溢れるような曲であるが、甘さばかりではない。激しい旋律
からはブラームスの苦悩が垣間見えるようだ。
ブラームスはクララ・シューマンを思い浮かべながらこのような曲を弾いていたの
だろうか。
お酒に酔う前に、この間奏曲集のピアノの鍵盤が奏でる一音一音の響きと粒立ち、
そして旋律に酔ってしまう。あげく〆張鶴との “シナジー効果” により相当酔いが
まわってきたようだ。





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         黒じょかの弦を右手に持ちぐい呑みにたっぷりお酒を注ぐ。絵唐津のぐい呑みは、40年ほど前に三年坂を
         下ったところにあった骨董店で購入したもの。店番のお婆さんが、これは唐津だよと説明してくれたが、
         ろくに聞いてもいなかった。よほど使いこんだとみえ、高台のところがすり減りろくろの回転方向が判別
         できない。おそらく京唐津ではないか、とにらんでいる。唐津特有の茶色い土は、私のところに来てから
         大分お酒を飲んだものと見え、テカテカと妖しげなまでに鈍い光を放っている。
         お酒に付きもの料理は無い。このお酒を味わうには料理は無用である。お酒とつまみの相乗作用も良いもの
         だが、お酒の質を楽しむには舌の上で “ 蜜の味 ” をじっくりと転がし、その匂い・甘・辛・酸・苦みなどを
         堪能し最後に喉ごしの感覚を楽しむ……おっと、また能書きを垂れてしまった。
         お米を作ってくれた人、お酒を醸してくれた人に感謝し、いただきます。

         さて昨日の夜話の続きだが、どこまで話しただろうか……



 わたしの「修行時代」ー 神田神保町2

 田村書店
 個性ある古書店主に田村書店の主人がいた。この書店には私の嗜好にあう本が沢山あり、値段も比較
的安かった。あるとき、店前のワゴンに大森義太郎著『まてりありすむす・みりたんす』という本があり
100円の値段であった。あいにく小銭が無かったので千円を差し出すと「売りません!」と言われ目を
丸くしていると「買いたいのなら100円を用意しなさい」と説教されたものである。理由も言わずに
「値段を負けて欲しい」と言おうものなら、帰ってくれと言われるのが落ちである。
 
 優しい面もあるようで、ある日、私と同年代の青年が「見習いで働かせて欲しい」と、くだんの主人
に頼み込んでいた。どう返事をするのかと見ていたところ、タイミングが良かったのか雇うことになっ
たようである。時々、店を覗いてみたが青年は辞めずに働いていた。時折、主人は青年に向かい「○○
君、君ならこの本いくらに値を付ける?」と尋ねては返事を聞き「そんなところだな」と相好を崩して
いる姿を見たことがある。
 
 主人は後継者を育てることに熱心であったように思う。すでに80代後半の年齢になると思うが、元気
で働いていてほしいものだ。

 十月書房
 なんといっても一番印象に残っている古書店の主は、“10月書房” の親爺さんであった。一誠堂裏の狭い
路地の交差点角にあった店である。それは見過ごしてしまうような小さな店であった。店の主人は70代後半
の年齢に見えた。薄暗い店の奥で冬といわず夏といわずコタツに足を入れ、大きな身体を丸めるようにし
こちらの様子を見ていた。雑誌を中心に置いていた店であったように思うが、狭い店内を見渡すと果たして
このような雑誌が売れるのだろうか、といらぬ心配をしてしまう。見る者によってはゴミにしか見えない
だろう。ご近所なので昼休みなど話を聞きによく通ったものである。
 
 ある日、いつものように顔を出すと、入口を入った左の机の上に薄っぺらい数十冊の『改造』という雑誌
が積んであった。戦前の雑誌である。『世界』『中央公論』と肩を並べるインテリ層が読むような雑誌で
あったようである。何冊かその本を手に取り目次を見ていると、山川均、大森義太郎、向坂逸郎などの名が
見える。全く知らない名ではない。値段はと裏表紙を見ると、鉛筆で書きなぐったような数字で結構よい
値段が書かれている。

 珍しい雑誌が入りましたね、と主人に話しかけると、こないだの古書市で仕入れたとの返事が返ってきた。
大森義太郎の論文は初めて見ます、と再度声を掛けると、店主は おおもり ぎたろう と呼んでいたのが強く
印象に残っている。
 大森義太郎は資産家の家で育ったらしく、若い頃にライカカメラ(当時、ライカ一台の価格で家一軒が買
えたという)を使っていたというので良く覚えていたのである。
 数冊の『改造』を手にし店を後にした。

 それからしばらく経ち、店の前を通っても戸口の色あせたカーテンは閉ったままであった。何日経っても
カーテンの開くことはなく、再びあの親爺さんの姿を見ることはなかった。






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by kame-fukusima | 2017-02-25 21:08 | 酒と音楽

閑話 その弐






ひとり酒

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                 銚子は九谷焼(平野由佳さんの作品)、酒杯は京漆器(金銀蒔絵抽象文)







今夜はひとり酒。飲むお酒は何かと言えば
“王禄”である。最近飲むことが多くなった
お酒である。辛口とひとは言うが旨口の好
きな私にもいける。新酒の割に米の旨みが
舌の上に広がり、喉ごし重たからず軽から
ず、癖になる味わいがズシンとお腹にくる。

今夜用いる酒器は九谷焼の銚子(奈良市内
にあるギャラリーたちばなで購入)と京漆器
(剱岳黎明)で合わせた。

流れる曲は二ヶ月前からターンテーブルに
乗っているディヌ・リパッティのピアノ曲
 “ 主よ、人の望みの喜びよ ”
リパッティはこの曲を何度か録音している
ようだが、私は1950年9月11日の録音が
一番好きである。何度聴いても胸にこみ上
げてくるものがある

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          深夜にひとりお酒を飲みながらしんみりとした曲を聴いているとつい若かった頃を思い出す



 わたしの「修行時代」ー 神田神保町

 小さな書店で働く
 神田神保町の古書店街の真ん中あたりに小宮山書店という名の古書店がある。
その裏の路地を少し入った所に“春陽堂”という書店があった。扱っている種類の
本は、海外の新刊本と雑誌、それに新聞であった。輸入レコード等も扱っていた。
わたしはそこで四年ほど働いた。

 わたしの仕事はと言えば、新聞や雑誌をオートバイに乗り官庁、大使館、商社
などに配達をするというものであった。主に港区にある大使館への配達が多かった。
外国人の経営する商社へ配達すると、時にはチップを頂くこともあった。出社時間
は自由で、午後からの配達を済ませればよいという気ままな仕事だった。
 当時のわたしは美術を学ぶ二部の専門学校生であったため、学費・生活費を書店
で働き僅かな収入を得ていたのである。住んでいた部屋といえば足立区北千住の三畳
一間の下宿屋であった。あの時代の学生としては、一番狭い間取りの部屋に住んで
いたのではないだろうか。神田川にも縁のある環境であったが、当時流行っていた
『神田川』の歌のような思い出は残念ながら無い

 書店で働くアルバイトの学生は、わたしの他に数名はいただろうか。美術の専門学校
に通う者、技術系の専門学校に通う者、それに一部・二部の大学生。漠然とした目標
を持つ者もいれば、得体の知れない者もいた。時には仕事を終えてから、連れだって
近くの喫茶店(ラドリオ、さぼうる、虎…等々)に入り、談笑もすれば先生格の者の
“授業”を受けることもあった。

 わたしは学校へは余り行かず、どのようなものを制作するか、を何時も考えていた。
調べものをするのに新刊書店や古書店に入浸り、テーマに沿う本を漁っていたのだ。
場所柄もあり書店に入らぬ日は無かった。

 古書店巡り
 一誠堂書店
 いくつかの古書店の名は今でも覚えている。まず一誠堂書店。古書店では一番風格
の漂う店であった。確か鉄筋コンクリート造り、三階建ての建物っだたかと記憶する。
大正時代か昭和の初め頃に建てられたような洒落た意匠の小規模なビルであった。
 それほど広い店内ではなかったが、書棚は間隔を広くとり他の古書店のような猥雑
な感じは無かった。むしろ閑散とし、床はタイル貼りということもあり寒々とした
雰囲気があった。先客はほとんど居たためしがなく、背広を着た店員さんが階段を二
三段上がったあたりから客の様子を窺い、レジにはもう一人の店員さんが無表情な顔
で仕事をこなしていた。

 十代の若者には場違いな所に見えたものだ。興味のある本を見つけ値段はと裏表紙
を開いて見ると、そこには売値が符丁で書かれていて店の者にしか分らないようになって
いるのだ。状態の良い本のため、そのどれもが他の店よりやや高めの値段設定だったか
と記憶する。

 この店は、『一古書肆の思い出』を著わした反町茂雄氏の修行した古書店でもある。
反町氏は東京大学を卒業し、一誠堂書店に住込みで丁稚奉公に入った人である。給料
には双方とも触れず、出すとも下さいとも言わなかったと言う。勤務時間は実質無制限、
休日は月に一回という条件であった。本の本質を学ぶために古書店で一年ばかり働く
つもりが三年は修行しないと使いものにならないと言われ覚悟を決めたようである。
大卒であるが故の苦労も当然あったに違いない。
 年季が明け独立する段に、店の主人から「かつて反町のように身を粉にして働いた
者を知らない。今後もそのような者は出ないであろう」と言われたと後に語っていた。
 独立してからがまた大変だったようで、今までは名門一誠堂の番頭だったので同業者
に一目置かれていた。独立すれば新参の一業者、周りの接する態度に変化があったよう
である。
 現在でも、古書店街で働く者には一誠堂で修行した者が少なからずいるようである。

                              ……明日の夜に続く





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by kame-fukusima | 2017-02-22 21:06 | 酒と音楽

山陰紀行ー倉吉3






ふるカフェ系?

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古民家ではないけれど “ふるカフェ系” に入れてみたい白壁土蔵カフェ。

旧国立第三銀行であった重厚な建物が、今ではレストラン&カフェに生まれ変わっている。
建てられたのは1908年(明治41年)、屋根は黒瓦、外壁、軒裏は漆喰、腰は石張り、窓には
鉄格子がはめられている。建てられた当時の建物が外観も内部もほぼ原型のまま残っているという
国指定登録有形文化財










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先の地震で建物がダメージを受け修復工事中とか








「 八橋往来 」六題

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八橋往来(やばせおうらい)は、伯耆国の中心であった倉吉と八橋(琴浦町)
を結ぶ奈良時代からの街道。
その昔、伊能忠敬もこの街道を歩いて測量を行った
とのこと。街道沿いには石州瓦の赤屋根に白壁土蔵群、酒・醤油の醸造元、
レトロな京格子窓風の商家群が見られ興味深い










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倉吉淀屋
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淀屋(よどや)とは、江戸時代大坂で繁栄を極めた豪商である。全国の米相場の基準となる
米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展する事に大きく寄与した。米市以外にも
様々な事業を手掛け莫大な財産を築くが、その財力が武家社会にも影響する事となった事により、
幕府より闕所(財産没収)処分にされた。しかし、闕所処分に先立ち伯耆国久米郡倉吉の地に暖簾分けした
店を開き、後の世代に再び元の大坂の地で再興した。幕末になり討幕運動に身を投じ、
殆どの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた…ウィキペデアより引用








倉吉淀屋

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建物内部は無料で見学でき、その際にはボランティアの方が案内をしてくれる。
建物は1760年(宝暦10年)の建築。倉吉で最も古い町屋建築とのこと。
平成19年~20年に復元修理された。以前は三軒長屋(?)として利用されていた








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通りがかりに見かけた屋根付き白壁の見事な塀







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by kame-fukusima | 2017-02-18 08:56 | 山陰紀行

山陰紀行ー倉吉2







格子窓の商家群

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最近のレンズでは見ることが少なくなった、タル型歪曲収差である…






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お酒の醸造所である。狸の置物が店を守っているかのよう






ちょっとレトロな商家群

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民家群三題

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リニューアル中の民家。こういう家に住んでみたい。
お話を聞いたところ、最近韓国の団体客が多いとのこと。
「レトロな町並」に関心があるのだろうか







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妙に気になる…








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by kame-fukusima | 2017-02-17 08:51 | 山陰紀行

山陰紀行ー倉吉1







白壁土蔵群

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玉川に幾つもの石橋が掛かっている。こちら側は通用口である








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白い壁は漆喰、腰は焼いた杉板である





醤油醸造所
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白壁土蔵群の表がこちらの通りである。
古くからの建物が、普段の生活で利用されている。
醤油醸造元やお酒の醸造元などが軒を連ねている










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お酒の醸造元
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石州瓦の屋根に格子窓
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格子窓は京都で見かけるものによく似ている。
石州瓦は凍結に強く、北陸から山陰にかけよく見かける。
近年、地方によっては黒瓦のものも見かけるようになった






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京都西陣の織屋さんでは、と見紛うばかりの格子窓








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撮影年は2016年2月(今年の積雪は記録に残るような積雪量と思われる)






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by kame-fukusima | 2017-02-15 20:01 | 山陰紀行



嘉祥二年(849)、慈覚大師(じかくたいし)によって伽藍(がらん)が建立され、
阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので三佛寺といわれるようになったという。
ただし、慈覚大師の来山は史実には明らかではない。源頼朝、足利義満ともに同寺を
尊崇し、盛時は38寺49院を数えたというが、 兵火によりその多くを焼失した。
…ホームページより引用



本堂
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江戸時代後期、天保10年(1839年)の再建。県文化財に指定されている。
 平成19年に解体修理を行っている。修理前は屋根からの雨漏りがひどい状態の上、
本堂下部には伏流水による空洞ができており建物は傾いていたという




宝形造りの本堂

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本堂裏手

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あと10年も経てば、古色がつき良い雰囲気になるだろう








垣間見える文殊堂

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本堂から先へは進めないので遠く仰ぎ見る。
参道奥には国宝投入堂をはじめ多くの重要文化財の建造物がある。
残念ながら、昨年の地震の影響により参拝できない





狛犬

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見応えのある狛犬であった





いわくありげな大岩

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通常、冬季期間はここまでしか進めない

現在、鳥取県中部地震の影響により事故防止のため奥院投入堂までの参拝登山はできません。
ご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。再開時期は未定です
…ホームページより引用






本堂前の杉三題

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本堂前に佇んでいると日が射してきた。その変化を楽しむ








仰ぎ見る奥院投入堂(投入堂遥拝所より)

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役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくりました。
役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声と共に
断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。
このことから「投入堂」と呼ばれるようになりました。
…ホームページより引用

分りにくいが写真上部崖下に投入堂がある。
14年前のコンパクトカメラではこれが限界(とカメラに責任転嫁)。
いまだに現役、世界最小デジタルカメラ(発売時)。胸ポケットに入り、
ファインダーも付いてるし、矢立代わりに旅のお供はいつもこれ→optio s
この機種三台持っているけど、最初に購入したものが一番写りが良い。
個体差ありすぎるなぁ…







参道入口バス停

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参拝を終え、食事の出来るところを探したところ、バス通りに二軒の食事のできる店
を見つけたがなんと冬季は営業していなかった。空腹を抱え寒さに震えていた時、
参道を上がってすぐの所に谷川天狗堂という店があったことを思い出した。
店の前には新雪が積もったままであったし、お休みかもしれないとは思ったが
藁にもすがる思いで再び参道を登ってみた。戸口で店内を覗いたところ
店の主人と目が合い、中に入り営業していることを知り一安心。

ストーブがあり身体を温めることができほっと一息。
お薦めの山菜天ぷらうどんを注文し待つこと30分近く、山盛りの山菜の
天ぷらにちょっとビックリ。出汁もよく利いて味が良いのに感動する。
聞けば積雪期にはほとんど参拝者は来ないとのこと(今日は数名いたなぁ)。
例年この時期の積雪は60㎝は越えるとのこと(今年は軽く1m以上ありそう)。

壁に『のだめ』のテレビドラマで指揮者の役をしていたタレントの写真を
見つけたので、ここに来たのかと尋ねたところ、そうだという。前年来たそうである。
あのドラマは好きで好きで幾度見たことか。“のだめ”の弾くピアノの音が実に良かった。
原作の漫画も全巻買って読んだな、と思いながらつゆも残さず完食。

店の主人に礼を述べ、再び参道入口バス停からバスに乗り、いざ倉吉へ…









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by kame-fukusima | 2017-02-12 08:56 | 山陰紀行



三徳山三佛寺

三徳山三佛寺は天台宗修験道三徳山法流の寺である。
 鳥取県のほぼ中央、中国山脈の脊梁部北側に位置し、周囲は高い山々に囲まれ
変化に富んだ渓谷美を見せる。断崖絶壁や大岩窟が入り乱れ四季折々の美しい
景観を呈し、一帯は史跡名勝に指定されている…(ホームページより引用)



三徳山参道入口

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三徳山参道入口

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午前十時頃参道入口に到着する。すでに数名の参拝者らしき人の足跡あり






皆成院前の参道

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積雪はあるが沢の水を傾斜を利用して流しているので、歩行に困難は無い







輪光院山門

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境内から撮影したもの。こちら側の方が山間の寺院の雰囲気がある









輪光院庭園

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輪光院十二支の地蔵

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いわれは分らぬが十二体それぞれのポーズが異なる







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宝物殿前の石仏三題

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時代はありそうだが由来は分らず。苔むし、風化が進んでいる







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顔立ちに特徴のある石仏群である







本堂

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三佛寺

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昨年の二月、年度末の迫る中三日間の休暇をとり三徳山三佛寺、倉吉、そして三朝温泉への二泊三日の旅に出た。
三徳山三佛寺は一度は来たかったところである。天下に名の轟くあの投入堂のあるところなのだから。
土門拳さんをはじめ、著名人がここを訪れている。年齢を重ねると投入堂までの道は険しくきついようである。土門さん
は不自由な身体でもあったので、数人の手助けを借りて投入堂へ登ったと本で読んだことがある。

冬季は本堂までしか参拝は許されていない。そして昨年の地震の影響で当分の間、投入堂へ通じる参道は通行禁止
の措置が取られている。
地震からの復興を願わずにはいられない




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by kame-fukusima | 2017-02-10 08:56 | 山陰紀行






ブナ林


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積雪期の低山歩きは、天候に恵まれると実に気持ちの良いものである。第一に藪こぎが無い(クマザサなどの下草が
雪の下で倒れている)。第二に広葉樹が落葉しているので見通しが良い。遠くまで見渡せるのでブナやミズナラなどの
大木を容易に見つけ出すことが出来、近づいてブナ特有の灰白色の木肌を素手で触り、樹上を仰ぎ見る。その肌には
地衣類が取りつき、モザイク模様が実に美しい。ブナの生きてきた年月に思いを馳せ、幹に耳を着け鼓動を聞き取る。

ブナ科の仲間にミズナラがある。見た目は全く異なり、木肌は立てに裂け枝振りは鋭く天を突くような感がある。
ブナは用材としては役に立たないと言われた時代があったが、ミズナラはヨーロッパではオークと言われ家具などの
高級用材として利用されている。
ブナを森の女王というなら、私はミズナラを森の王と例えよう。

本題に戻ろう。二泊目は伯耆大山西稜にある大山桝水高原というところに宿を取り、三日目の朝から西の稜線を登り、散策路を
一ノ沢あたりまで足を伸したがどうにも写欲が湧いてこない。結局一度もシャッターを切らず、再び歩いて大山寺バス停まで
雪上の獣の足跡を道案内とし戻ったものである。


次回からは、『山陰紀行ー三徳山三佛寺』編ほかをお届けします






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by kame-fukusima | 2017-02-09 08:21 | 山と渓






ブナ林

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伯耆大山は西日本最大のブナ林のあるところである。各地のブナ林を見てきたが、ここのブナ林の特徴は幹や枝が
曲がりくねって伸びていること、と感じた。大木に育ったブナを見ることも無かった。鬱蒼としたブナの原生林
という雰囲気でもない。きっと古より人間との関わりの深い山域なのだろう。日本海からの風がよほど強いため
に真っ直ぐに伸びることは困難なためか、あるいは若木の内に積雪の影響で曲がってしまったのだろうか。
北壁の形状からすると日本海から吹いてきた風が元谷を駆け上がり、一部は頂上を目指し、他の風は複雑な動き
をし左右の尾根筋に分かれて流れていき、樹木の形に影響を与えたのだろうか。

日本海からそう遠くない距離にそびえ立っている伯耆大山の姿は、孤高の存在である(よく似た山に鳥海山がある)。
見る場所によっては富士山のように秀麗な姿を見せてくれるが、一旦北壁や南壁を望めばその成り立ちを示すがごとく
実に荒々しい姿をしている。北壁を眺めていると、大噴火で山腹が吹き飛んだのではないかとさえ思ってしまう。

この日は夏山コースを歩き、五合目付近でブナ林を撮影した。時折横殴りの雪が体を打ち付けたがさほど辛くは感じず、
子どものように雪を楽しんだ。一通り撮影を終え、昼すぎに宿で作って貰った弁当を立ちながら食べたところ、
ジャリジャリと口の中で音を立てるのに驚きもし、閉口したものである。なんと弁当が凍っていたのである。
当然と言えば当然である、気温は氷点下なのであるから。ゆっくりと口の中で溶かすようにして食べた記憶がある。
次からは弁当が凍らぬよう対策を立てようと思ったものである。
六合目の避難小屋までを登山の行程としていたので避難小屋で折り返し、同じ道をたどり下山した。往路復路、
誰とも会うことのない一日であった。
さあ、明日の撮影ポイントに急ごう。






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by kame-fukusima | 2017-02-08 09:45 | 山と渓






伯耆大山・三鈷峰

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夏山登山コース五合目付近より北壁を望む



いつの頃だろうか…確か暮れも押し迫ったクリスマスの日だったように思う。無性に雪山を見たくなり
積雪のある山域を調べ、行き先を伯耆大山に決め早速行動に移した。行きは鉄道を利用したはずだが
どのような経路をたどったのか記憶に無いのだ。米子駅に昼頃到着し遅めの昼食を取ったことは覚えている。
バスに乗り(乗客は私ひとり)、大山の麓にある大山寺バス停に着いたのは午後三時頃であったと思う。

積雪は10㎝程度だったため最寄りのスキー場は閉鎖されており、閑散とした光景であった。まず宿泊施設を見つけ
なければならなかった。土産物屋を兼ねたユースホステルの看板を見つけたので交渉したところ宿は決まった。
ザックを部屋に置き、明日の行程の下見に出かけた。

ここは志賀直哉の『暗夜行路』の舞台でもあったところである。蓮浄院と言う名の宿坊に泊まったことを
知り、門前まで行ってみた。蓮浄院はすぐに見つけることができた。かやぶき屋根の趣のある宿坊である。
『暗夜行路』の小説に出てくる宿坊、と大きな看板が出ていた。
当初ここに泊まることも想定していたのだが、宿坊という性格もあり寒々とした光景が脳裏を横切ったので諦め
たのであった。

余談だが志賀直哉は大山に宿泊したとき、前日食べた食事が良くなかったのか食中毒で倒れてしまったことがある。
下痢止めを飲んだために余計に病状が悪化し、一ヶ月間の療養を余儀なくされたと後に語っている。確かその時
宿泊していたところも蓮浄院であったように思う。
今では『暗夜行路』の内容は忘れてしまった(50年ほど前、志賀直哉をはじめ白樺派の作品は沢山読んだ)。
主人公の名は“時任謙作”であるのは覚えている。やたらと「謙作は…」「謙作は…」と、名を書き立てていた
ことを妙に記憶している。
知られるように『暗夜行路』は自伝的小説である。

現在、蓮浄院は廃墟同然の姿から、倒壊し、その後自然のままに朽ちていく姿をさらしているとも聞く。
私のこの時の大山行きは27年ほど前のことである。“同行者”はいつものニュー・マミヤシックス。二泊三日の旅で
あったが撮影枚数は思いの外少なかった。
なお蓮浄院の写真は撮影していない(ご容赦を)






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by kame-fukusima | 2017-02-05 08:11 | 山と渓