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金沢-大聖寺紀行17








北前船の里橋立

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北前船の基地であった橋立港は、想像していたより小さく、現代風の魚港であった。風波を避けるには良い港だが、あまりにも想像と違っていたので写真を撮ることを忘れてしまったほどである。江戸時代には北前船は港へは入らず、沖合に停泊しハシケで荷物を運んだという。そのことを知り成るほどと合点がいった。

船主の集落は厳しい潮風から身を守るように山陰に建てられていた。石州瓦の赤瓦に棟や塀を飾る笏谷石、潮風から建物を守る竪板と共通した意匠を持っていた。
かつては繁栄していた橋立であったが、今ではあちらこちらに廃屋や屋敷跡の寒々とした光景が広がっており寂しいかぎりである。
集落を一望できる山の上からは日本海が垣間見える。白く泡立つ波頭がいっそう旅情を誘う

「金沢-大聖寺紀行」は今回をもって終了です





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by kame-fukusima | 2017-04-08 20:37 | 旅行記

金沢-大聖寺紀行16





“日本一の富豪村” 北前船の里・橋立

北前船の里資料館

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北前船の里資料館では、船主が使用していた陶磁器、漆器、船箪笥など種々の資料が贅沢極まる邸内に所狭しと展示されている。興味をひいたのは船主が日常生活を送る一階の座敷が漆塗りであること。金沢のお茶屋さんでも座敷や階段などで漆塗りは見受けられたものの、重厚な柱、梁、天井など七回ほど漆が塗られているというのは珍しいのではないだろうか。通常、漆塗りは三回ほどとか。
船箪笥が二十棹ばかり展示してあるのは圧巻である。船箪笥好きの私としては、一棹持ち帰りたいくらいであった。室内の写真を撮ろうと思ったがストロボの設定が出来ず不発に終わってしまった(十数年使用しているコンパクトデジカメも買い換え時期がきたようだ)。
庭園はというと、主な庭石や灯籠などは処分されてしまったのか、威容を誇るシラカシだけがかつての繁栄ぶりを思い起こさせるだけで寂しい状態である




                             北前船の里資料館遠景

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家屋の外観は、切妻造妻入りの屋根をかけ、その周りに下屋を設けている。屋根には赤瓦が葺かれ、棟に笏谷石を載せているのが特徴という。外壁は潮風を防ぐため、竪板で覆われている







蔵六園

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この建物は、江戸時代から明治時代中期にかけて北前船の船主として財をなした酒屋家の別宅としてに建てられたたもの。庭園は天保年間に作庭されたもので、大聖寺藩主が訪れた際、庭園の庭石が亀(蔵六)に似ていたことから蔵六園と名づけたと伝えられている。主屋は明治3年(1870)頃に建てられたもので総欅造り漆塗り、当時の北前船の船主の繁栄が伺えるもので敷地内にある門や土蔵などと共に国登録有形文化財に指定されている。
時間が無かったのでこちらは見学していない。次回は見学したいものだ






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道路の見事な敷石などからもかつての繁栄ぶりを窺い知ることができる





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大正時代には新聞や雑誌で日本一の富豪村と全国に紹介された





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寛政8年(1798)に編纂された「船道定法之記」によると当時の橋立町には30数名の船主が名を連ね100隻を超える北前船を所持していたと記されている。経済的にも豊かになった橋立町には西出・久保・酒谷・黒田・西谷といった船主達が財を成したといわれる。有り余る財で橋立に早くから電線を引き、夜でも昼のように外灯を灯していたとか。
北前船は大阪から北海道までの一航海で、現在の貨幣価値にすると一億円の利益を上げたといわれている。だが航海のリスクも多く、嵐により沈没する船もあったことは想像に難しくない。船主は財を成しても船員たちの給料は高くはなかったと伝えられている。
明治時代後期になると次第に北前船などの海運業が廃れ、現在は最盛期の賑わいはない(通信の発達と大規模な汽船による運搬、それに陸運が活発になり小規模な海運業は廃れたようだ)。
橋立は明治時代に建てられた船主達の屋敷が点在し国の 重要伝統的建造物群保存地区指定されている

橋立へはJR加賀温泉駅からバスで30分で行けます。

撮影:2015.2
camera:pentax optio s



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by kame-fukusima | 2017-04-06 21:12 | 旅行記

金沢-大聖寺紀行15





魅せられし “ 白き館 “

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近江町市場を見学し、付近を探索していると白亜の洋館(かつてはそうであったと思われる)が目の前に現れた。素敵だ、大いに心の琴線に触れる。玄関の造作はギリシアの神殿を模したかのようだ。エンタシスの柱がお洒落であるし、実に手の込んだ造りだ。一見、廃墟かとも思ったが玄関前には盆栽が整然と置かれていたことから推測するに廃墟にあらず。それでは住宅かとも思ったが、盆栽以外には生活感のカケラも見当たらない。わずかに開いた戸の隙間から、呼び入れるように見目うるわしき女人が手招きをしている、って『怪異譚』じゃあるまいしそんな夢のような話はない。イカンまた妄想が…

雨の降る中、傘を差しながら片手で写真を撮っていると、訝しく思ったのか道いく人が立ち止まって見ている。
一通り撮影を終え建物を観察してみると、現在は倉庫として利用されているようである。竣工当時は地方の銀行か郵便局、あるいは事務所として利用されていたのだろうか。採光や換気には十分に気を遣っている上に、二階には非常口らしき所も一カ所ある。良く出来ている(上から目線かよ)。リノベーションを行い “ふるカフェ系” に如何なものかと…
収穫のある金沢への小旅行であった。

次回は、金沢市の西方にある北前船のふる里 “日本一の富豪村“・ 橋立を紹介します


撮影:2010.7
camera:canon ixy digital l






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by kame-fukusima | 2017-04-04 20:33 | 旅行記

金沢-大聖寺紀行14





魅せる金沢の町並み

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しつこいようだが、いま暫く家並みにお付き合いを…






うだつ(?)のある家

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このお家も “ふるカフェ系” ?

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泉鏡花記念館

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ちょっと休憩

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泉鏡花記念館付近で見かけた花の盛りを過ぎた紫陽花

“ 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは… “







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木造三階建ての民家
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内外とも植物に囲まれた民家。西隣に “白亜の館” がある。
木造三階建ての民家は、金沢市や私の住む京都市でもよく見かける










たそがれ時の金沢市内
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香林坊より長町武家屋敷跡を望む



金沢市では年間三百軒前後の町家が取り壊されてきた。以前、金沢市中心街の駐車場不足を補う目的として、金沢市の支援の元、数多くの町家を取り壊し駐車場にする事業を推進したという。
時代が変り、近年市民の歴史的資源としての金沢町屋への認識が高まるとともに、行政側も平成20年3月に『金澤町家継承・利用活性化基本計画』を策定し、歴史的建築物の保存と活用に取り組んでいくという。

古い町家は住むには不便なことが多い。冬はたまらなく寒いので暖房代がかさむし、間取りは現代には合わず使いかってが悪い。メンテナンス費用もばかにならない。そんなこともありどんどん取り壊されてモダンな住宅に生まれ変わる。
ところがである。京都では若い人がそこが面白いといって好んで住む人が増えているという。西陣あたりの長屋なら家賃も安く済むし、近所付合いが苦手でなければよい選択である。管理人不在の、セキュリティに不安の残る町家のゲストハウスがどんどん増えるより、余ほどよいと思うのだが。難しいのは、家主が若い人に貸し出すことに不安を感じていることだ。間に仲介する行政や法人が必要とされるかなぁ…と、またまた妄想が

京都には西陣紋屋町にある “三上家路地“ や清水寺西にある “あじき路地” が工芸などに携わる若い人たち人気があり、住みたいという希望者が多いという。観光にも一役かっており、地域の活性化に貢献している


撮影:2010.7
camera:canon ixy digital l






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by kame-fukusima | 2017-04-03 20:11 | 旅行記

金沢-大聖寺紀行13





麗しき金澤商家群

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久保市乙剣宮(番外)

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わたしは古い町並みが好きである。旅に出れば地図も持たず、スマホとやらも手にせず(高くて買えないのだが)、あちこち歩き回る。クルマは苦手なので行動範囲は狭くなるが自分の足を信じ、気の向くままに風を読み、匂いを嗅ぎ “徘徊“ する。ときには不審者に間違えられ、おばさんたちにとり囲まれたこともあった(二十歳の頃だが)。だが今では、膝が痛い、腰が痛いと愚痴り、旅に出るのも近所を散歩するのも億劫になってきた。

気がかりなのは、ここ一年のことだが、バブル以来の町並みの激変である。地元京都市ではそれが顕著である。こないだまであった立派な長屋門が無くなり、更地になっていた、ということがしょっちゅうである。更地には、「ホテル」が建つという白い看板が。今はやりのアレである。このままでは無名の棟梁たちが建てた“銘家”・“迷家”が絶滅しかねない、という危惧がある。で、手遅れ(意味が分らん)にならないうちに記録に残しておきたい…というが、ただ好きなだけです


撮影:2010.7
camera:canon ixy digital l




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by kame-fukusima | 2017-04-02 20:07 | 旅行記

金沢-大聖寺紀行12






魅せられし商家


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例によって金沢市内をぶらぶら歩いていると、とある一軒の家が目に止まり釘付け状態になった。「こっ、これは…」と独白。一見民家のようであり、大きな商家のようにも見える。生来の “銘家” 好きの血が騒ぐ。すかさず胸ポケットからカメラを取り出し撮影する。
すると若女将らしき妙齢のご婦人が通りかかり「珍しいですか」と声をかけてきて、格子とすだれの効用について教えてくれた。その昔、お殿様御一行が街道を練り歩き通る際、直接顔を出して拝見するのは畏れ多いので格子越し・すだれ越しに外の様子を窺ったものとのこと。
格子という物はいくつもの効用があり便利である。家の中からは外が見えるが、一方で外からは中の様子が分らない。防犯を兼ねるし強風の被害も防げる。

ところで商家とするとこの家は何屋さん? 通りに面した部屋の造りを外から見ると、高いところに換気を考えた通気用の小窓があり格子の奥には戸が立っていないので換気は万全のようだ。部屋の横には通用口があるところを見ると “おくどさん“ を多数備えた台所だろうか。何を生業とするかは分らぬが、多くの使用人を抱えていたことは想像に難しくない…などと妄想に浸りながら撮影していた記憶がある


撮影:2010.7
camera:canon ixy digital l









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by kame-fukusima | 2017-04-01 06:33 | 旅行記

京都と各地で見かけた光景を投稿します。リンクは自由です。


by kame-fukushima