<   2017年 09月 ( 15 )   > この月の画像一覧






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ここに古の高台寺開山堂の写真がある。退色がすすんでいたが少しばかり手を加えてみた。
記憶によれば高台寺が一般公開を始めた頃(約30年前)の写真である。何かの参考になれば
と投稿をした次第(撮影時期は三月下旬かと思う)。・・・庭の芝生の手入れの跡が分る。

庭園は例に漏れず小堀遠州の作と伝わる。国の史跡・名勝に指定されている。400年前の姿
を今に止めるという。
楼船廊の中央に位置する観月台は、檜皮葺の四本柱の建物で三方に唐破風をつけた屋根の下
から観月するための建物である。これも伏見城から移築されたと伝わる。
ねね様は、この屋根の下で秀吉公を偲んでは偃月池(えんげつち)に映る月の姿を眺めていた
のであろうか。



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by kame-fukusima | 2017-09-30 05:00 | 古寺巡礼




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いま、高台寺という寺の、秋草のなかに寝そべって、これを書いている。
いましがた、ここのすこし寂びた趣きのある茶屋をしみじみと見てきたばかりのところだ。
此処はなかなかいい村だ。寺もいい。いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい。
・・・・・・
そうしてこんな何気ない山の中に、ずっと昔から、こういう茅の匂いのする茶屋が
身をひそませていたのかと思うと、本当にありがたい。
※撮影時の気分を堀辰雄風に書いてみました(ほぼ引用ですが^^;)

※次回から新シリーズが始まります


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by kame-fukusima | 2017-09-28 05:00 | 古寺巡礼






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東山の中腹、見晴らしの良いところに茶室・傘亭と時雨亭がある。利休が考案したもので
伏見城から移築したものと伝えられている。茶室というと待合があり躙口がある建物を
想像するが、そのようなものは見当たらず、山中の庵という趣きである。傘亭にいたっては
隠棲者が住んでいる雰囲気があり、仏を祀り閼伽棚(あかだな)をその前に設えれば方丈記
の世界に浸れるというものだ。突上窓や連子窓がたくさんあり実に開放的な造りである。
眼下には京都盆地、その向こうには浄土を思わせる西山の山並が見える。秋の夕暮れには、
さぞ夕焼けが美しいであろう。また、遠く南の方角に目をやれば、男山と天王山の間からは
大阪の高層ビル群を見ることができる。この地から大阪城の焼落ちる煙を北政所が見たという
話は、作り話ではなさそうに思える。

傘亭と時雨亭の間は、屋根付きの土間で結ばれている。竈や水屋も備えており、山の上とはいえ、
さほど不便さは感じないのではないだろうか。水の便は、付近を探せば音羽の滝のように清浄水
が流れるところがあるに違いない。
ふたつの茶室は、外観を見る限り一見粗末な造りに見えるが、内部を仔細に見ると実に贅沢な造り
であることが分る。選りすぐりの柱や梁、茅葺き屋根の下地である竹垂木の組みの精巧さ、それに
茅の厚みは豪農の屋根を見る思いがする。傘亭の西側の出入口は竹組の揚げ戸になっており、実に
珍しい造りである。時雨亭は総二階建ての造りで、二階には床の間もあり、眺めの良い西側には
貴賓席まであるのだ。

傘亭には妙に懐かしさを感じてしまった。贅沢な造りと規模の小ささを除けば、私がこども時代を
過ごした家に似ている。そんな気がしたのである。

※次回は時雨亭です






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by kame-fukusima | 2017-09-26 05:00 | 古寺巡礼




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霊屋(おたまや)は秀吉と北政所をお祀りしているところである。開山堂を東山に向って
坂道を少し登ると、茶室の手前に鎮座している。途中によく手入れの行き届いた竹林が風に
そよぎ、お参りする人の目と耳を楽しませてくれる。開山堂と霊屋を結ぶ臥龍廊(がりょうろう)
と呼ぶ、屋根付きの橋と廊下を結合させた趣きのある階段があるが、残念なことにそこを通る
ことは出来ない。臥龍とは龍が寝ている姿という(そう言えば諸葛孔明も若い頃に田舎に隠れて
いたので臥龍と呼ばれていたことを思い出した)。

霊屋内陣の厨子の左右には、秀吉と北政所の木造が安置され左側の北政所の座像の下には、
御遺骸が埋葬されている。
須弥壇や厨子には、華麗な蒔絵が施され世に「高台寺蒔絵」と称され桃山時代の漆工芸美術の粋を
集めている。中央の階段には、「花筏」(はないかだ)と呼ばれる意匠の筏と川の水面に漂う桜の
花びらが無数に描かれ、仏教でいう無常観を表現しているという。

 露と落ち  
  露と消えにし 我が身かな
   難波(なにわ)のことも 夢のまた夢

               ※秀吉辞世の句

三十年程前のこと、高台寺が一般公開を始めたころに訪れたことがある。その頃の霊屋の内陣は悲惨な
状態に陥っていた。漆の塗膜は剥がれ見るに堪えない状態であったが、その後修復がなされ、現在は
美しさ取り戻している。参考までに当時撮影した建物の写真を添えておく。
つづきます・・・



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by kame-fukusima | 2017-09-23 05:00 | 古寺巡礼





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秋晴れの日、「限りなく透明に近いブルー」と「輝き」を今週のテーマに据えた(どこかで聞いたような
タイトルだが気にしない)。先週は「野分」をテーマとしたが、漱石先生の小説のように重たい内容に
なってしまった。ので、今回はひたすら明るくと思ってはいるのだが、さてどうなるやら ^^;

高台寺は、東山の山麓に豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(きたのまんどころ)
が慶長十一年(1606)に開創した寺である。寛永元年(1624)に建仁寺の三江紹益禅師を開山と
してむかえ、高台寺と号した。意外にも禅寺であった。
家康の財政的援助もあって壮麗な寺観を呈していたというが、たびたびの火災にあい多くの堂宇を失い、
今日残っているのは開山堂と霊屋、観月台、茶室・傘亭と時雨亭などである。
開山堂の中央部の彩色天井には、北政所の御所車の天井、前方の折上小組天井には秀吉が使った御船の
天井が用いられているという。また、禅宗寺院の法堂に見られる龍の絵は狩野山楽の筆である。
風のごとく通りすぎるのでは勿体ないので、是非とも穴の開くほど天井を眺めてほしいものだ。
写真撮影が出来ないのは誠に残念である。
今回、開山堂の姿に初めて惹かれるものを感じ、素敵なビューポイントはないかと探し、ここだけで
150枚以上撮影してしまった。現像が大変 ^^;
それにしても天井の造作の凝っていたのには驚くばかり。今までどこを見ていたのだろうか。




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by kame-fukusima | 2017-09-22 06:11 | 古寺巡礼






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秀吉とねねの寺は、京都でも人気のある寺院の筆頭である清水寺の北側に位置している。
三年坂の石段を転ばぬように降り、左右の土産物店を覗いてはまた歩き、そして二年坂を
過ぎるとそこはもう高台寺の門前である。
石畳の“ねねの道“が嬉しい。雨の日には、しっとりと濡れた石畳の上で素敵な出会いがあるかも知れない。
石塀小路が近くにあるせいか、そんな雰囲気があたりに満ちている。歩き疲れたなら、茶店でわらび餅に
薄茶をいただきながら、庭の池で優雅な姿で泳ぐ緋鯉を眺めれば元気が出てくるであろう。
台所坂の階段を上がると目の前が開け唐門、庫裏、方丈が目に入る。東山の山並が、屋根瓦が、
そして石畳が、朝の日差しを浴びて眩しいほど輝いている。

今日も開門と同時に拝観する。過去にも何度か写真撮影に来ているのでイメージは出来ている。
開山堂を方丈の回廊から狙う。今日は気合いが入り一眼レフを用意した。いい具合に前景に彩り
を添えるように、百日紅が私の来るのを待ってていたかのようにまだ咲いていてくれた。
ありがとう、銀粉蝶さん!(“京都御所”編を読んだ方は、その意味を覚えているかと思う)
二時間で500枚ほど撮影した。rawで撮影したので現像と投稿する写真の取捨選択が大変だ。
それにしてもraw現像って何? 面倒だし嫌いだなぁ~



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by kame-fukusima | 2017-09-20 13:03 | 古寺巡礼






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いつかは書院造りの家に住んでみたいと夢を見る(どこかで聞いたような・・・)
いつものことだが定点観測のように、庭園といい建物といい同じところを撮影している。
よくもまあ飽きもせずに撮影している、と人ごとのように思う。仕事柄、国宝や重要文化財
である建物に出入りすることはある。書院造り、寝殿造りの魅力とそこでの生活の大変さも
人よりは感じている。
書院造り・寝殿造りの屋根には日本古来の茅葺き屋根に通じるものがある。伊勢神宮の簡素
な屋根の美しさ、白木を用いた掘っ立て小屋風の造作には眩しくて言葉も出ない。
茅葺き屋根の家には、今でも住んでみたいと思っている。それは今の時代では大変贅沢なこと
に違いない。裕福な人が“茶室”と称し、選りすぐりの材料を用いた数寄屋造りの建物の中で茶
を点て“ワビサビ”を論じる。一期一会と称し贅沢な“おもてなし“をする。それも良いだろう

子供の頃、こんなことがあった。小学校の授業を終え仲の良い友達の家に寄った時のこと、
周囲がたんぼばかりの中に一軒の茅葺き屋根の小さな家があった。その家には父親の姿は無く
母親一人に子だくさんの家庭だった(たしか生活保護を受けていたことを親から聞いていた
覚えがある)。その家でお昼ご飯をご馳走になったのだ。囲炉裏に黒い鉄鍋を掛け薪をくべて
“おじや“を作ってくれた。木の器によそってくれたおじやを食べようとすると、窓から顔を出し
こちらの様子を見ていた近所の悪ガキどもが「食うな食うな」「下呂だ下呂だ」と騒ぎ立てる。
あまりに酷いことをいうので友の兄が怒って悪ガキどもを追いかける、ということを幾度かくり
返した。
そこで食べた“おじや“の美味しかったこと。私の人生の中で、あれ以上に美味しい食べ物は無かった。
これは断言してよい。嘘偽りはない。これが“おもてなし“を受けた最初の経験かも知れない。

茅葺き屋根の下で産湯を使い、その屋根の下で東京オリンピックの年まで生活していた。
家を建替えるというので中学校から帰ると、すでに茅葺き屋根の家は消えていた。
「○○君、家が無くなっちゃたわ・・・」と私の姿を見つけて近所のおばさんは言う。私は言葉が
出なかった。妙に切なくて、家の建っていた地面を見つめ放心状態だった、と当時を思い出す。
新しい家に住める、と家族全員で家のプランを立てた、快適な生活ができると束の間の夢を見た。
しかし、なぜか快適であった家での思い出は浮んではこない。

寒い冬の朝、起きてすぐに炬燵に入り背を丸くして暖をとる。母が早くから起き、家族の食事
を用意し、練炭を熾して炬燵をつくってくれている。風が強い日には、天井を張っていないので
煙出しからは雪が容赦なく吹き込んでくる。風趣があるといって歌を詠む余裕はなく、ただただ
寒さに震えていた。
秋、囲炉裏に薪を燃して暖をとる。熾きが爆ぜ火の粉が飛び、目からは煙責めに遭い常に涙が
流れる。楽しいことは、いろり端で田楽を焼き、味噌だれを付けた甘い田楽を食べることだった。
しばらく経ち、また作ってと頼むと「固い木綿豆腐が手に入らない」という。僅かな期間で昔から
続いていたものが次々に失われていく。
秋から冬にかけては、居間や土間で夜なべ仕事を全員が行う。家畜の飼料用か来年の種用か
思い出せないが、干し終えたトウモロコシを軸と実に分ける。夜の仕事は長い期間あるのだった。
テレビも無い、スマホも無い、パソコンも無い、という時代だったから出来たのか。
勉強しろ、勉強しろ、と言われてもそんな環境では出来るわけがない(言訳です)。子供ながらに
辛い作業ではあったが、周りの子供も似たり寄ったりの生活環境であった。

茅葺き屋根の家での、そんな思い出ばかりが次々に浮んでくるのである。辛かったことは忘れている。
現代では、新しい家といえば、日本全国どこも似たり寄ったりの家の意匠、吹き抜けのある家、
和室の無い家、空調の利いた快適な家である。そんな環境で育った現代の子供達には、
いったいどのような家の思い出が残るのであろうか。





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by kame-fukusima | 2017-09-19 05:00 | 京都御所






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四季折々、京都御所のお庭を拝見しているが、実のところ夏のお庭にはさほど期待はしていなかった。
雨の降る日はどのようなものかと思い立ち、開門と同時に御池庭(おいけにわ)、御内庭(ごないてい)
へと歩みをすすめた。欅橋、土橋がいつもの場所で出迎えてくれる。お約束どおり素敵な姿をカメラに
収める。なかでも私のお気に入りは土橋(どばし)である。木製の橋の渡り板に土と白い玉石を被せた
もののようである。土からは草がこぼれるように咲き競い(?)、なかなか風趣があってよい。
いつかは、この橋を渡って向う岸にある茶室で薄茶をいただきたいものだと夢を見る。
また、遣り水の流れる御内庭の北あたりの佇まいが目に心に優しい。人の手は入っているけれど自然な
趣きは僅かに残してある。夏のあいだ、天皇は暑い京都の夏をこちらにある“御涼所“(おすずみしょ)
で過ごしたという。

夏に咲く花といえば芙蓉、百日紅、夾竹桃を思い浮かべるが、中でも芙蓉は私のすきな花である。
薄紅色より白い花に見惚れてしまう。不思議なことに実物よりも絵に描いたものの方が素敵に見えるのは
どういうわけだろうか。よくよく観察してみると、この木は意外にも強い生命力を持っていることが分る。
百日紅の大樹を京都御苑のあちこちで見ることができるが、御所の庭園内でも幾本か見かけた。この花は、
いざ撮影を試みるとなかなかに手強い相手である。ちっともスキを見せない。近づいても、離れても、
秋波を送ってはくれないのである。ついには撮影を諦めて退散してしまう。ところが御所の庭のなかでは、
さほど目立ちもせず、かといって存在感を失わず風景の一部となり艶やかな姿を見せているのだ。
水面には散った花びらとともに薄紅色の花が映っている。この色が夏の単調な庭園に生きている。
さしずめ主役を引き立てる名脇役というところか(女優に例えるなら樹木希林、 いやちがうなぁ、そうだ !
“ 京都人の密かな愉しみ ” に出ていた常盤貴子の母役 ー 銀粉蝶で決定)。
さて、花の写真となればお約束の露伴翁の言葉である (^^;)
百日紅について語っている箇所があるので、長くはなるが是非とも紹介したい。読めば頬が緩むこと間違いなし。


「猿滑りとは基幹の攀ぢがたく見ゆるよりの名なるべく、百日紅と呼び半年花と呼ぶは
其花の盛り久しきよりの偁なるべし。
雲の峯の天にいかめしくて、磧礫(こいし)も火炎(ほのほ)を噴くかと見ゆる夏の日、
よろづの草なども弱り萎るる折柄、此花の紫雲行きまどひ蜀錦砕け散れるが如くに咲き誇りたる、
梅桜とはまた異るおもむきあり。
掃へど掃へど又しても又しても新しく花の散るとて、小僮(わっぱ)はつぶやくべけれど、
散りても散りても後より後よりと新しき花の咲き出づるは、主人(あるじ)がよろこぶところなるべし。
木ぶりの痩せからびて老いたるものめきたるにも似ず、少女などのやうに、
人の手のおのが肌に触るれば身を慄はしておののくは如何なる故にや。をかし。」






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by kame-fukusima | 2017-09-17 15:00 | 京都御所










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藤袴、と漢字で書いてみたい花のひとつである。花言葉は知らない。
わが師、蝸牛庵の主人はこの花のことを語ってはいなかったように思う。

未明からの雷鳴と雨の降る音で目が覚めた。いまでは野分といっても意味が通じないであろうか。
夏の一日、京都御苑もしくは京都御所で大雨の降る日、それも雷鳴の轟く日に写真撮影に出かけて
みたいと思っていた。しかしその願いは適わなかった(機会は二度ほどあったのだが)。その理由は
ハッキリしている。ただただ怖じ気づいてしまったからである(以前なら、こんな日には
オフロードバイクを駆って嬉々として京都北山の悪路を探し探し走ったものだが)。

雨が小降りになったのを見計らい京都御所へ散歩に出かけた。この時期なら人も少ないであろう、
という読みもあった。はたして周りを見渡すと人は少なめだが、日本人は私ひとりであった。
この近辺ではなんの不思議もない日常の光景である。いつものコースを辿ると回廊が修繕の装いを
している。近ごろ御苑内を走る工事車両が目立つとは思ったが、ここでもかと心が萎える。
御池庭、御内庭へと進むに従い雨が強く降り出した。それに比例し心が騒ぎ出す。
雨傘を左手に持ち、コンデジを右手で構えシャッターを切る。“下手な鉄砲も数打ちゃ当る“
作戦である(こりゃ後の作業が大変だなぁ)。

終盤に差しかかる頃、今まで見たことがない場所に藤袴が咲いていた。その後ろには、
おあつらえ向きに頭を垂れた薄まで。できすぎている、とは思ったが雨に濡れる藤袴の可憐なこと・・・
花の写真はめったに撮らないのだが、この時は撮りたい、という気持ちが勝ってしまった。
『源氏物語』に藤袴という巻があり、源氏の使いで玉鬘のもとを訪れた夕霧が御簾の下から
藤袴を差入れて己の恋心を伝える、という場面があった。そういう場で、見栄えのしない野の花
であるこの花が役に立つのであろうか。




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by kame-fukusima | 2017-09-15 19:22 | 京都御所







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若い頃は、静かな場所が好きだということもあり、近場の寺院へは度たび足を運んでいた。
長岡京市にある粟生光明寺へは毎週のように徒歩で行っていたものである。古い民家の残る
西国街道を通り、向日神社の境内のある山を登っては下り、そして竹藪を抜けるとそこには
いつも静かな佇まいで粟生光明寺の山門が迎えてくれた。当時は石庭のある所へ立ち入って
瞑想(妄想?)していても修行僧から注意されることもなかった(そんな生活が三年間は続
いただろうか)。
紅葉の時期になると紅葉狩りの人々が訪れることはあっても騒々しくはなかった。
今では、人気のある寺院は喧騒の場と化してしまった。
当初、石山寺本堂の全体像を現してみたいと目論んでいたものの、いざ撮影を始めたらそんな
考えはどこかにいってしまった。残された時間はそう長くはないけれど、また出直そう。

昨日は三十年ぶりに洛北にある曼殊院門跡を訪ねた。庫裏が玄関を兼ねているのだが、柱といい、
梁といい立派なものだ。門跡寺院らしくない、地方の富裕な農家のような豪快な造りである。
若い頃はそこへは目が向いていなかった。瀟洒な室内装飾にばかりに関心を持っていたようだ。
以前は室内であっても自由に撮影できたように思うのだが、今では庫裏の天井でさえ撮影禁止に
なってしまった。残念である。
紅葉の時期の曼殊院門跡も良いが、もっと庫裏の造作にも目を向けてみたいものだ。
素晴らしい造りである。
※ただいま曼殊院の一部の建物が修繕中です





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by kame-fukusima | 2017-09-14 05:00 | 古寺巡礼

京都と各地で見かけた光景を投稿します。リンクは自由です。


by kame-fukushima