閑院宮邸跡

東門

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寺院の門を思わせるような威厳を備えている






千鳥破風を構えた車寄せ

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京都御苑西南角に位置する閑院宮邸跡は、江戸時代から続いた宮家の屋敷跡です。
収納展示室では、京都御苑の自然と歴史について写真や絵図・出土品等の展示や
解説を行っています(入館無料)…ホームページより引用







南棟

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玄関を入ると左右に書院造りの建物がある。
北棟は(財)国民公園協会京都御苑事務所

壁は古くからの工法、竹を格子状に編んだ
小舞掻き下地に白漆喰を塗っている






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一見桂離宮を思わせるような雁行形に高床式
の書院造り。貴族の家に見られる造りという







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西棟

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庭園遺構
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試掘調査により18世紀中頃に作庭されたことが判明する。
作庭当時の遺構は保存し、その上に緩やかな玉石の州浜を設け、
当時の池の意匠を復元したとのこと。

塀の向こうには旧九條家の拾翠亭と九條池がある







長屋門
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長屋門は近世諸大名の城郭、陣屋武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。諸大名は、
自分の屋敷の周囲に、家臣などのための
長屋を建て住まわせていたが、その一部に門を開いて、一棟とした物が
長屋門の始まりである。

その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されるようになっていった。武家屋敷の長屋門では、
門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用された。侍屋敷の長屋門は武家屋敷の
ものより小規模であるが、基本的な構成はほぼ同じである。

また郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋でも長屋門は作られた。更に明治以後は他の
富農の家屋敷にも作られるようになった。このような長屋門では、門の両側部分は使用人の住居・納屋・作業所など
に利用された。
…ウィキペディアより引用


閑院宮家は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、
東山天皇の皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710年)に創立されました。
 創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、現在の建物との関係など
詳しいことはわかっていません。閑院宮家が東京に移った明治10年まで邸宅として
使用されましたが、その後は華族会館や裁判所に使用され、明治16年旧宮内省
京都支庁が設置された際に、現在の建物になりました。
 平成15年度から3カ年をかけて全面的な改修と周辺整備が行われました。
…ホームページより引用





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# by kame-fukusima | 2017-03-06 09:08 | 京都御苑 Kyoto Gyoen Na