わが身のやんごとなからんにも、

   まして数ならざらんにも、

   子といふものなくてありなん。





   高野川
f0374885_10163951.jpg
   京都バスの終点大原で降り寂光院へ向かう。途中には高野川を渡る小さな橋が架かっている。
   清らかな流れからはカジカガエルの涼しげな鳴き声が聞こえてきた。
    高野川と賀茂川が下鴨で合流し鴨川と名を代える。




   寂光院への道

f0374885_10172776.jpg







f0374885_10175831.jpg
   川を越え、少し歩くと左手に小さな田圃が見えてくる。十年ほど前までは、
   この辺り一帯が田圃ばかりであったが今では少なくなってしまった。
   中央に見える一段低く見える山が比叡山である。






f0374885_10182655.jpg







f0374885_10184833.jpg

  道すがら四方のこずえがとりどりに色づいているのを見ながら行くうち、
  山陰のせいか日もすでに暮れかかってきた。
  野寺から聞こえてくる入相の鐘の音がものさびしく、踏み分ける草場の露に御袖はしとどにぬれ、
  山風がはげしく木の葉が乱れ飛び、空はかきくもっていつしか時雨れてきた。
  『平家物語』大原入りの巻より引用





   朧の清水
f0374885_10190921.jpg
   寂光院へ向かう道すがら、山手の灌木の下にある小さな湧き水。建礼門院さまが京都から寂光院へ移る際、
   この清水のあたりで日が暮れ、朧月夜によって自分の姿がこの水溜りに映った。
   そのやつれた姿を見て身の上を嘆いたという話が伝えられている。
   『平家物語』大原入りの段にはその描写は見当たらない。

   私が人生の師匠と仰ぐ人物のひとり吉田兼好は、
   「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」
   と詠んでいる。

   左の石碑には “おぼろのしみず“ と刻まれているがいつの頃からあるのかは不明。






f0374885_10192856.jpg
   再び左手に田圃が見えてきた。寄り道していこう。






f0374885_10194762.jpg
   山の中央に谷筋が見える。その東側の山の中腹に寂光院と大原西陵がある。





   寂光院隣家の石垣
f0374885_10220570.jpg

  耳、目に触れるかぎりがみな悲しく、御心細さはたとえようがない。
  浦づたいも島づたいもしたけれど、さすがにこれほどではなかったと、
  思われるばかりだったが、目ざす寂光院はしかし岩に苔むしてものさび、
  ここならば住んでみたいという気をおこされた。
  『平家物語』大原入りの段より引用





f0374885_10222807.jpg
   寂光院への道すがら新緑と木漏れ日が綺麗であった。



木々のこずえがとりどりに色づいてきた季節に、建礼門さま一行は寂光院を目ざし、

都から歩かれたのであろう。日は短く、夕暮れにようやくたどり着いたに違いない。

今でこそ東海道の西の起点である三条大橋からバスで四十分ほどで行けるが、

平安の貴人の足では、ぬかるんだ山あいの道を都から一日は掛けて歩いたのではなかろうか。

道路事情の良くなった今でも、私の足では片道四時間はかかるであろう。

それから考えると、“大原女“ は毎日のように、頭の上に柴や炭などを乗せて都との間を往復していた

のであるから、相当つらい仕事であったことと思う。






[PR]
# by kame-fukusima | 2017-05-19 21:06 | 古寺巡礼