嘉祥二年(849)、慈覚大師によって伽藍が建立され 阿弥陀・釈迦・大日の
三尊を安置したので三佛寺といわれるようになったという。
ただし、慈覚大師の来山は史実には明らかではない。源頼朝、足利義満ともに
同寺を尊崇し、盛時は38寺49院を数えたというが、 兵火によりその多くを
焼失したという。




本堂
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江戸時代後期、天保10年(1839年)の再建。県文化財に指定されている。
 平成19年に解体修理を行っている。修理前は屋根からの雨漏りがひどい状態の上、
本堂下部には伏流水による空洞ができており建物は傾いていたという




宝形造りの本堂

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本堂裏手

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あと10年も経てば、古色がつき良い雰囲気になるだろう








垣間見える文殊堂

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本堂から先へは進めないので遠く仰ぎ見る。
参道奥には国宝投入堂をはじめ多くの重要文化財の建造物がある。





狛犬

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見応えのある狛犬であった





いわくありげな大岩

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通常、冬季期間はここまでしか進めない







本堂前の杉三題

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本堂前に佇んでいると日が射してきた。その変化を楽しむ








仰ぎ見る奥院投入堂(投入堂遥拝所より)

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「役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくりました。
役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声と共に
断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。
このことから「投入堂」と呼ばれるようになりました。」
…ホームページより引用

分りにくいが写真上部崖下に投入堂がある。
15年前のコンパクトカメラではこれが限界(とカメラに責任転嫁)。
いまだに現役、世界最小デジタルカメラ(発売時)。胸ポケットに入り、
ファインダーも付いてるし、矢立代わりに旅のお供はいつもこれ→optio s
この機種三台持っているけど、最初に購入したものが一番写りが良い。
個体差ありすぎるなぁ…







参道入口バス停

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参拝を終え、食事の出来るところを探したところ、バス通りに二軒の食事のできる店
を見つけたがなんと冬季は営業していなかった。空腹を抱え寒さに震えていた時、
参道を上がってすぐの所に谷川天狗堂という店があったことを思い出した。
店の前には新雪が積もったままであったし、お休みかもしれないとは思ったが
藁にもすがる思いで再び参道を登ってみた。戸口で店内を覗いたところ
店の主人と目が合い、中に入り営業していることを知り一安心。

ストーブがあり身体を温めることができほっと一息。
お薦めの山菜天ぷらうどんを注文し待つこと20分、山盛りの山菜の
天ぷらにちょっとビックリ。出汁もよく利いて味が良いのに感激する。
聞けば積雪期にはほとんど参拝者は来ないとのこと(今日は数名いたなぁ)。
例年この時期の積雪は60㎝は越えるそうだ。

壁に『のだめ』のテレビドラマで指揮者の役をしていたタレントの写真を
見つけたので、ここに来たのかと尋ねたところ、そうだという。前年来たそうである。
あのドラマは好きで好きで幾度見たことか。“のだめ”の弾くピアノの音が実に良かった。
それもそのはず、有名なピアニストの音であった。
原作の漫画も全巻買って読んだな、と思いながらつゆも残さず完食。

店の主人に礼を述べ、再び参道入口バス停からバスに乗りいざ倉吉へ










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# by kame-fukusima | 2018-01-08 08:36 | 古寺巡礼



一昨年の二月、年度末の迫る中三日間の休暇をとり三徳山三佛寺、倉吉、
そして三朝温泉への二泊三日の旅に出た。
三徳山三佛寺は一度は来たかったところである。天下に名の轟くあの投入堂
のあるところなのだから。土門拳さんをはじめ、著名人がここを訪れている。
年齢を重ねると投入堂までの道は険しくきついようである。土門さんは不自由
な身体でもあったので、数人の手助けを借りて投入堂へ登ったと本で読んだ
ことがある。
なお、冬季は本堂までしか参拝は許されていない。



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三徳山三佛寺

三徳山三佛寺は天台宗修験道三徳山法流の寺である。
鳥取県のほぼ中央、中国山脈の脊梁部北側に位置し、周囲は高い山々に囲まれ
変化に富んだ渓谷美を見せる。断崖絶壁や大岩窟が入り乱れ四季折々の美しい
景観を呈し、一帯は史跡名勝に指定されている。



三徳山参道入口
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三徳山参道入口

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午前十時頃参道入口に到着する。すでに数名の参拝者らしき人の足跡あり






皆成院前の参道

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積雪はあるが沢の水を傾斜を利用して流しているので、歩行に困難は無い







輪光院山門

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境内から撮影したもの。こちら側の方が山間の寺院の雰囲気がある









輪光院庭園

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輪光院十二支の地蔵

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いわれは分らぬが十二体それぞれのポーズが異なる







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宝物殿前の石仏三題

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時代はありそうだが由来は分らず。苔むし、風化が進んでいる







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顔立ちに特徴のある石仏群である







本堂

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三佛寺

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・・・続きます

※お正月にブログ内の記事と写真を掃除していたところこの記事を見つけ、削除しようとしたが思い直し、
『古寺巡礼』シリーズに再編集してみました^^;




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# by kame-fukusima | 2018-01-08 06:10 | 古寺巡礼

春の草花




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重たい雪を 真っ白にかぶった
あのやまにも この街にも
そのどこかで どこかで
春を待つ 準備をしている
小さな草たちが 草たちがいるよ



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# by kame-fukusima | 2018-01-04 05:30 | 山と渓

春よ・・・




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前日に投稿した詩は「かあさんの歌」である。
年配の方は、夕方になると毎日のように某放送局から流れていたことをご存じかと思う。
この歌を聴くと、つい田舎の母のことを思い出してしまう。
作詞作曲者は窪田聡氏である。窪田氏は「シンガーソングライター」の草分けと言われている。

私は二十代初めのころ、窪田氏と同じ音楽団体に所属していた。
「あの人が『かあさんの歌』を作曲した窪田さんだよ」と友人から教えてもらったときは
感激したものだ。“伝説の人物“ が目の前にいたのだから。想像していたよりずっと若い
(とは言っても十五歳は年上か)ので、二度感激したものだ。
私は窪田さんの声を聞いた記憶がない。もちろん話したこともなかった。いつも物静か
な姿を遠くから見ていただけである。羨望と尊敬の念をもって・・・

水道橋駅付近を歩いている後ろ姿を二三度見たことがあるが、長髪で巻き毛だったような
覚えがある。いつも隣には若いご婦人が寄り添っていた。
どういうわけか、窪田さんの出身は歌のイメージから東北、それも秋田だとばかり思っていた。
今もってそのことが不思議である。
風の便りでは、牛窓あたりで合唱の指導を続けているとか。ご健在であることを遠くから祈る
ばかりである。



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# by kame-fukusima | 2018-01-03 06:00 | 洛中洛外点描

春を待つ








いろりの匂い

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母さんが
夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ
冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの
便りはとどく
いろりのにおいがした



囲炉裏と書いていろり
若いひとの中には見たことがない方もいるかと思う。
そう古くない時代、家族団らんの場であり、
身体を温める場所でもあり、
鉄瓶で湯を温めたり、時には煮炊きをする場でもあった。
いまでも使っている家が残っているかと思う。
私の生れ育った東北の地ではごく普通にあった。
茅葺き屋根の家にはなくてはならないもの、
それが囲炉裏。
囲炉裏のけむりで燻され茅は長持ちするのである。
茅(カヤ)といっても今では、通用しないかも知れない。
茅とは薄(ススキ)のことである。
ここ京都市でも茅場といって茅を生産している畑(山)があるのである。
そこにはカヤネズミというヤマネに似た小さな鼠が
ススキの上部に巣を作っているのが見られる。
欧米では忌み嫌われる鼠だがなぜか日本では
カワイイといわれる。

囲炉裏にはいろいろな思い出がある。
秋から冬にかけ家族で囲炉裏をかこみ一家団らんのひとときを過す。
ときにはくべてある薪が爆ぜ火の粉が四方に飛び、
綿入れが焦げることもあった。
薪からは煙が立ちのぼり、目からは始終涙が出たものである。
上信越や東北地方で盲目の瞽女(ごぜ)やイタコが出た環境も
こういうところに原因があったのではないか、
と言う人もいるくらい煙には悩まされた。
吹雪の日には、屋根の煙抜きからは細かい雪が吹き込んできて、
囲炉裏ばたに落ちてきた(天井などありませんから)。
そんな光景を美しいと思うわけはなく、
“オラこんな家イヤダ“と思ったに違いない。
そんな時代に育った。

白黒テレビなどまだまだ普及していない時代、ラジヲからは
「愛ちゃんは太郎の嫁になる 俺らのこころを知りながら・・・」
という歌が日に幾度も流れる。こどもには、
「赤胴鈴之助」のラジヲドラマが唯一の楽しみであった。
その主役のこどもの声の主はといえば、
当時小学生の吉永小百合さんであった。






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# by kame-fukusima | 2018-01-02 04:55 | 洛中洛外点描

京都と各地で見かけた光景を投稿します。リンクは自由です。


by kame-fukushima