後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし。



九体阿弥陀堂

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九体阿弥陀堂の屋根は、桧皮葺であったものを江戸時代に瓦に葺き替えたものだという
ことを聞いたことがある。もしそれが本当のことなら実に惜しい。桧皮葺の流麗かつ、
やわらかな曲線描く屋根を見たかったものである。三重塔の屋根は桧皮葺であることを
考えると、その情報の信憑性は高いと思われる。








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扉一つひとつの向こうには阿弥陀如来像が安置されている。








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           この扉には年月にさらされた風格がある。中は阿弥陀如来中尊像の光背側にあたる。








鐘楼
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山門
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右手側に鐘楼がある。






山門北側の参道。
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左手側にアセビの木がある。今の木は何代目にあたるのだろうか。
昭和十八年春、小説家の堀 辰雄は奥さんと浄瑠璃寺を訪れ、
このように書いている。長いが引用してみる。

「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。と僕はその門の
かたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の
灌木ががいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを
認めると、自分のあとからくる妻の方を向いて、得意そうにそれを
指さして見せた。
まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花? 
妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細に見ていたが、
しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一塊りを
掌のうえに載せたりしてみていた。・・・」
『大和路・信濃路』より引用。前後の文章も名文である。興味のある方は
文庫本を手に入れご一読を。


堀によれば、馬酔木の花を大和路のいたるところに見ることができるという。
また、万葉びとにとってどの花にも増して愛されていたのだと。








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撮影:2017年3月






暇にまかせ“古寺巡礼“を始めたのだが、折に触れ古民家や山や渓なども撮影している。撮影済みのフイルム

を30年後に見直してみると結果として寺院や神社の建造物、そして庭園が多かったということである。

わたしはけして信仰に篤いわけではなく、ただひとけの無い静かなところが好きなのである。それが寺院

であり、神社であり、山や渓であった(それも「今は昔のこと」、どこへ出かけても外国へ行ったかのような

さわぎである)。

古美術好き故か、あるいは明治時代より続く大工の棟梁の血を受け継いでいたものかは分らぬが、建築構造、

建築意匠、庭園の構造に目がいってしまい、つい写真機のレンズを向けシャッターを切ってしまう。

人間などは撮る気になれないのである。

そうは言っても、十代の頃に撮影したモノクロフイルムを見ていると随分と人間を撮影している。

自分でいうのも可笑しいが、よい写真を撮っている。ある時代の記録としても秀逸(自分でいうか)である。

そのフイルムは半世紀を経ようとしているものだが、近い将来に投稿し皆さんの感想を聞きたいものである。

それにしても何故人間を撮れなくなってしまったのであろうか。


“古寺巡礼”を掲載するにあたって、もしやと思い物入れを探ってみると、はたして長年行方知らずになっていた

モノクロームネガのファイルを二冊探し出すことができた。約三十年ぶりの対面である。その中には、

焼失前の大原寂光院のネガもあった。お坊さん(尼僧?)の姿も見えて懐かしい。

慌てて毎朝五時に早起きをし、湿度の高い朝のうちに(加湿器より効果があるのだ)スキャナーでデジタル化

しているが、これまた気の遠くなるような作業である。

この五年間で優に一万枚以上は取り込んでいるが、いつになれば終わるものやら。ハ・・・・・・

これでは、わたしのイノチが先に尽きてしまいそうである。







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by kame-fukusima | 2017-05-15 20:10 | 古寺巡礼







よろづにいみじくとも、色このまざらん男は、

いとさうざうしく、
 
玉の巵(さかづき)の当(そこ)なきここちぞすべき。





九体阿弥陀堂(国宝)藤原時代

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「彼岸の中日」には、太陽の軌道が、三重塔のある薬師仏の前から池越しに
九体仏の中尊、来迎印の阿弥陀仏の後方に沈んでいくという。
中尊は堂中央、石灯籠の向こう側に安置されている。








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当時、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏をまつるための横長の堂で、
現存する唯一のもの。正面十一間、側面四間。
阿弥陀仏を西に向かって拝めるよう東向きにし、前に浄土の池をおき、
その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を拝む形にしたもの。
一体一体の如来が堂前に板扉を持つ。中央に安置されている中尊像は、九体の中で
ひときわ大きいつくりである。








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「しかし何よりも周囲と調和した堂の外観がすばらしかった。開いた扉の間から金色の仏の

見えるのもよかった。あの優しい新緑の景色の内に大きい九体の仏があるという

シチュエーションは、いかにも藤原末期の幻想に似つかわしい。」

和辻が『古寺巡礼』で書いているように、大正七年頃は扉が開かれており、

池越しに九体阿弥陀仏を拝むことができたようである。

それも「今は昔のこと」・・・


西方九体阿弥陀如来像(国宝)は、中央に来迎印を結んだ阿弥陀如来中尊像、その左右に各々四体の

定印を結ぶ阿弥陀如来像が安置されている。それぞれのお顔に違いがあるのが興味深い。

ほかには国宝・四天王像(持国天・増長天のニ体)。秘仏・吉祥天女像(重要文化財)、

子安地蔵菩薩像(重要文化財)、不動明王三尊像(重要文化財)などを拝観することができた。

吉祥天女像のふっくらとしたお顔と着物の袖から出ているふくよかな腕、色香を伴う艶やかなお姿

には魅了された。その衣裳は壮麗としか言いようがないほど美しい。

“腹巻き”を巻いた地蔵菩薩の涼しげな眼差しとそのお顔だち、彩色と胡粉地は大分剥落してはいるが、

左手に如意宝珠を持ち、右手に与願の印を結んだお姿を見ては胸にこみ上げてくるものがある。

また不動明王三尊像の左右に従っている二体の童子が愛らしく、つい写真を買ってしまった。

九体阿弥陀如来を取り囲むように須弥壇の前に設えてあるお供え物を置く木製の台、これが

古美術好きには嬉しい。黒光りした木の感触、その凝った意匠、年月を経、日々手入れを

施されたたあじわいはここでしか見ることができない。見事である。










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by kame-fukusima | 2017-05-13 05:01 | 古寺巡礼





いにしへのひじりの御代の政をも忘れ、

民の愁へ、国のそこなはるるをも知らず、

よろづにきよらを尽していみじと思ひ、

所せまきさましたる人こそ、

うたて、思ふところなく見ゆれ。




中央宝池
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池の向こうに潅頂堂が見える。その右手に山門がある。
池を中心にしたこの庭園は、阿弥陀堂を東に向け、その前に苑池をおき、
東(右手方向)の三重塔内に薬師仏をまつった浄土式庭園である。
西(左手方向)に九体阿弥陀堂(本堂)がある。
平等院鳳凰堂と同様の浄土式庭園である。








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苑池北を巡り三重塔へ向かう





三重塔(国宝)藤原時代
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九体阿弥陀堂より苑池越しに東の三重塔を望む。





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          平安末、京都一条大宮から移されてきたもの。初層内は扉の釈迦八相、
          四隅の十六羅漢図などと、装飾文様で壁面が埋め尽くされ荘厳な雰囲気に満たされている。
          薬師仏が安置されている(通常非公開)。
          








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この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、

その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を

願うのが本来の礼拝であるという。

浄瑠璃寺に限らず、古来、人々は浄土の池の東から彼岸に

おられる阿弥陀仏に来迎を願って礼拝した。

苦悩の多い現世、薬師にそれを取り除いてもらい、阿弥陀仏に

太陽が沈んでいく西方浄土(極楽浄土)へ迎えていただく

ということなのだろう。


浄瑠璃寺を訪ねたのは三月の下旬であった。あと一週間遅ければ

桜の花も咲き出し、さぞ人出も多かったことであろう。

朝一番であったことも幸いし、拝観客は数名であったこともあり、

のんびりと撮影をし、また阿弥陀仏に願うことができた。

次に訪ねるときは、萩の花が頭を垂れるほどに茂ったころがよかろう。

さすれば山里の小さな堂宇の雰囲気があじわえるのではなかろうか。

※まだまだ続きます














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by kame-fukusima | 2017-05-12 05:01 | 古寺巡礼







法師ばかり羨ましからぬものはあらじ・・・
              みょうもん
増賀ひじりのいひけんように、名聞ぐるしく、

仏の御教へにたがふらんとぞおぼゆる。

ひたぶるの世捨人は、

なかなかあらまほしきかたもありなん。





                         当尾(とおの)の里

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浄瑠璃寺への道

「今日は浄瑠璃寺へ行った。ひるすぎに帰れるつもりで、昼飯の用意を言いつけて

出かけたのであったが、案外に手間取って、また案外におもしろかった。」


大正七年、二十九歳の和辻哲郎は奈良付近の寺々に遊びその印象を若さ溢れるような

文章でその印象を書きとめている。

当時の道はでこぼこ道で俥(くるま・人力車のことであろう)に乗っているのも楽では

なかったという。奈良坂へ帰っていい時刻にようやく浄瑠璃寺へたどり着く。


jr奈良駅から乗合自動車で三十分、浄瑠璃寺前の停留所へ到着する。ほぼ満員の乗合自動車

であったが、降車する者は思いの外少ない。この奥にある岩船寺を先に拝観するものと見える。

浄瑠璃寺へ向かう者は数人であった。

和辻の訪れたころとは打って変わり、ここへ来るには立派な道路を通り、新興住宅街を左右に見、

山深い山村を想像していたが軽く期待を裏切られた。当尾(とおの)の里は開放感あふれる里であった。

門前には、cafeがある。蕎麦屋がある。土産物屋がある。

浄瑠璃寺へ向かおう・・・







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by kame-fukusima | 2017-05-11 05:02 | 古寺巡礼







つれづれなるままに日くらし、硯にむかひて、

心にうつりゆくよしなしごとを、

そこはかとなく書きつくれば、

あやしうこそものぐるほしけれ。



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今をさかのぼること三十余年、自ら望まずとも過分なまでの余暇を得ることができ、

これといってすることもなく怠惰な日々を送っていた。これではいかんと考え、

腕に覚えのある(そんなもなぁ無いです)写真を再びやってみようかと思い至り、

長年押し入れに仕舞い込んでおいたニコンS2を取り出してみたのである。

十年ぶりにカメラを触り、レンジファインダーを覗くとカビらしき物と目が合った。

疑わずともまさしくカビに違いなかった。皮のケースも当然ながらカビだらけである。

このカメラは二十歳の頃に、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで銀座の

中古カメラ屋さんで購入したものである(ライカが欲しかったのだがとても手が届かなかった)。

食費を切り詰めて購入した思い入れのあるカメラであるのに、ずさんな保管の仕方であった。

ニコンのカメラとレンズの優秀さは、当時 “朝鮮戦争” を取材していた “ライフ” のカメラマン

から広く世間に知れわたっていたので、ライカ、コンタックス同様に写真愛好家の憧れのカメラ

である(ニコンSシリーズはライカとコンタックスのいいとこ取りをしていると言われていた)。

ちなみに発売当時のニコンS2の価格は、カメラ屋さんから聞いた話では中学を卒業して働いて

いた者の年収で漸く買えた価格だったという(戦前のライカの価格はといえば、家一軒の価格)。


カメラと標準レンズを分解整備に出し、戻ってきたカメラで久しぶりにシャッターを切る感触を思い出した。


パシャッという空気感たっぷり、ふくらみのある横走りフォーカルプレーンシャッターの衣ずれをともなう

あの音である。

不具合のあった巻き上げ機構は、すでに部品が無かったので新たに作ったとのこと(さすがはニコン)。

分解整備代はといえば、もう一台中古のS2が購入できる値段であったが・・・

そして、町に村に野に山に被写体を求め彷徨った。

京都市内の寺院などの建造物や庭園の美にふれ、なにかに取り憑かれたように

日くらし撮影に明け暮れた。


それも「今は昔のこと」・・・

撮影済みフイルムはろくに整理が進まず、発表の場を得ることもなく、経年に

よる退色が思いのほか速く心は焦るばかり。その上引っ越しを重ねるたびに行方

知れずのフイルムが多数出てきたことが判明し、その画像は頭の中に残像として

残るばかり。

これでは我が子のようにいとしい画像に申し訳が立たないではないか。

それではと思い立ち・・・

できの悪い子ではあるが、ここに掲載し余人の評価を問うに至った次第である。

拙い写真から何かを感じ取ってくだされば、このうえない喜びである。

なお、欠落している写真が多数あるので組写真にはなっていないがその点はご容赦

を願いたい。

今ではデジタルカメラという便利なものがあるので、補足できるものは新たに撮影をし、

従前のものに加えようと企図している。とうに還暦を過ぎた体力ではいつまで撮影行脚を

続けられるか心許ないが、身体が動く限り、撮影する気力がある限りファインダー

を覗きシャッターを切りたいものである。

なお近年撮影した写真には、一部コンパクトデジタルカメラで撮影したものがある。

古いものではモノクロームフイルムで撮影したものもあるのでひとこと申し添えておく。


『古寺巡礼』はご存じのように和辻哲郎氏の著作である。今回四十年ぶりに読み返し、氏の東西
両文化にわたる該博な知識にあらためて驚くばかりである。これが三十歳ころの著作とは・・・。

「つれづれなるままに」は私の座右の書『徒然草』序段の一節である。この書は、つれづれの境地から
生れた随筆だという。畏れ多いがこれにあやかったものである。







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by kame-fukusima | 2017-05-09 19:35 | 古寺巡礼