青蓮院の庭は四つあるが、池泉回遊式庭園の造りである
「相阿弥の庭」と小規模ではあるが「霧島の庭」がお薦めである。
わたしは断然「霧島の庭」に心惹かれるものを感ずる。
凡庸な庭のようだが、懐に入ると、
ある時その意図がじわりと伝わってくる。
もう一方の相阿弥の庭とは相性がモウひとつのようである。
こちらは華頂殿の中から眺める(考える)庭のように思える。
※写真は三十年ほど前のものなので、庭園は様変わりしていることと思われる。




霧島の庭

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龍心池(相阿弥の庭)

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相阿弥の作庭と伝わる



何事も、古き世のみぞしたはしき。

今様は、むげにいやしくこそなりゆくめれ。

かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物(うつは)も、

古代の姿こそをかしと見ゆれ。

『徒然草』第二十二段より






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by kame-fukusima | 2017-07-21 04:55 | 古寺巡礼





錦繡の庭

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          よろづのことは、月見るにこそ、慰むものなれ。

          ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、

          またひとり、「露こそあはれなれ」とあらそひしこそ、をかしけれ。

          折にふれば、何かはあはれならざらん。

          月・花はさらなり、

          風のみこそ、人に心はつくめれ。

          岩にくだけて清く流るる水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。

                            『徒然草』第二十一段より






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by kame-fukusima | 2017-07-20 19:50 | 古寺巡礼





暑い盛りに紅葉とは、とひんしゅくを買いそうですが、
編集上の都合もあり、しばしお付き合いを願います。



「錦繡の庭」

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けして枝を揺すったわけではありません。朝一番に行けば(運がよければ)出会えます。








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            なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」

            と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。

                    『徒然草』第二十段より






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by kame-fukusima | 2017-07-20 05:01 | 古寺巡礼





春は霧島ツツジの赤、秋はモミジの紅葉。
どちらも苔庭の緑が引き立ててくれる。
遠州はそれを計算に入れていたのだろうか。
訪れる者は思わず目を奪われるような、
季節ごとに茶の湯に通じる一期一会のもてなし
を受けることができる。




霧島の庭 - 秋

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          をりふしの移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。

          「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、

          それもさるものにて、いま一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。

                                   『徒然草』第十九段より







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by kame-fukusima | 2017-07-19 20:06 | 古寺巡礼





青蓮院の庭を見た芥川龍之介は「青磁の器のような美しさ」
と言ったという。では、秋の庭園の美しさは何にたとえるだろうか。
「ところ」から思い至るのは、粟田焼のような錦繡の美とでも言うだろうか。
あるいは、小舟に乗り竜田川から眺める紅葉か。



霧島の庭

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小堀遠州の作庭と伝わる










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      人は、おのれをつづまやかにし、奢りを退けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。

      昔より、賢き人の富めるは稀なり。

          『徒然草』第十八段より










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by kame-fukusima | 2017-07-19 05:00 | 古寺巡礼







      青蓮院を初めて訪ねたのはいつの頃であろうか。三十年、いや四十年は経つだろうか。

      雨の降る朝だった。

      “霧島の庭“は小さな庭ではあるけれど、どの庭よりもわたしには大切な時を過ごせる

      ところであった。

      小一時間佇んでいても通り過ぎるひとはわずか。静謐な時をひとり占めできる嬉しさ。

      最後に霧島の庭を訪ねたのは十年ほど前か。これが最後かな、と思ったものだ。


      今でもわたしのことを覚えているだろうか。

      (許しておくれ・・・)





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          山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、

          つれづれもなく、心の濁りも清まるここちすれ。

                      『徒然草』第十七段







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by kame-fukusima | 2017-07-18 19:38 | 古寺巡礼






霧島の庭

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大楠

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長屋門

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        神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

        おほかた、ものの音には、笛・篳篥(ひちりき)。

        常に聞きたきは琵琶・和琴。

         『徒然草』第十六段







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by kame-fukusima | 2017-07-17 05:00 | 古寺巡礼