龍心池


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石橋の名は跨龍(またぎりゅう)橋、奥に見える池中央の岩を中島としている。
中島は池から背を見せた龍のようにも見えるという。












相阿弥の庭(龍心池)

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奥に見える建物は茶室・好文亭。1993年放火により焼失したが現在は再建されている。
この写真は1990年頃に撮影したもの。奇しくも大原寂光院本堂も撮影後に放火により焼失。











華頂殿 ー 渡廊下 ー 小御所

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        投稿した写真は、そのほとんどが三十年ほど前に撮影したものです。
        心にとまった景色を気の向くままに撮影するのが当時の私の“流儀“でした。
        発表することなど考えていませんでした。ですからまとまりの無いものに
        なっていることは否めません。
        今思えば、あれも撮っておけばよかったと思うのですが、当時の私には
        目に入らなかったのでしょう。ガイドとしては未熟な出来ですが、
        ある時代の記録として少しでも役に立てば光栄です。

        ニコンNew FM2(Ai 2.8/28)・TMAX400
        New Mamiya6(G3.5/75L)・ポジフイルム名失念
        ニコンD3300(Ai2.8/24)・長屋門・楠の二枚のみ(カラー)





                              大 楠

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            青蓮院には樹齢800年(撮影時は770年?)のクスノキが五本ある。親鸞聖人お手植と伝わる。








          飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しびゆきかひて、

          花やかなりしあたりも人すまぬ野らとなり、変らぬすみかは人改まりぬ。

          桃李もの言わねば、誰とともにか昔を語らん。

          まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。


               :古歌にうたわれる飛鳥川の淵瀬のように、世の中は無常なものである。
                時勢が変って、さまざわの幸不幸の訪れとともに歳月が移ろって行く。
                そのうちに、花やかであった土地が、人の住まぬ野原となり、
                おなじ家が残っていても、住む人が変ってしまう。
                桃や李(すもも)は昔のままだが、彼らは物を言わない。
                いったい、だれと昔を語ることができよう。
                わけても、見たこともない遠い時代の尊い方が住んでいたという跡は
                実にはかない感じがする。
                『徒然草』第二十五段より






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by kame-fukusima | 2017-07-24 19:25 | 古寺巡礼







小御所

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本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺きの建物。平安時代末は門主の居間であったという。
後櫻町上皇が青蓮院を仮御所としてお使いの際、上皇もご使用になった建物である。
但し明治に焼失した為、江戸中期の建物を移築している。















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宸 殿

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入母屋造、桟瓦葺きの、寺内で最も大きな建物。徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移転。
明治26年(1893年)に焼失後復興。 宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行う。
有縁の天皇及び歴代門主の御尊牌を祀る。宸殿前に右近の橘、左近の桜を配するのは、御歴代尊儀の在ます所の意味である。
親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所でもあり、「お得度の間」ともいう。
今、杉苔に覆われた宸殿の前庭は本来白砂を敷いていたものである。












小御所

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宸 殿

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           斎王の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事のかぎりとは覚えしか。

           「経」・「仏」など忌みて、「なかご」、「染紙」などいふなるもをかし。

           すべて神の社こそ、すてがたく、なまめかしきものなれや。

           :斎王が野宮にいらっしゃるおりの有様ほど優美で趣き深いものはない、と思ったものである。
            経や仏などの類を忌んで、それらを「なかご」「染紙」などと呼ぶそうだが、それもおもしろい。
            すべて、神社は捨てがたい風情があり、優美なものである。
                『徒然草』第二十四段より





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by kame-fukusima | 2017-07-23 18:26 | 古寺巡礼





青蓮院門跡は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、
現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている。
青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院とされている。

青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されている。



宸殿-南庭

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宸殿-南庭

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奥に見えるお堂が本堂。
堂内の厨子にはご本尊熾盛光(しじょうこう)如来の曼荼羅を安置(秘仏)。
国宝の青不動は、将軍塚の青龍殿に祀られている。







宸 殿

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小御所

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        衰へたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

        露台・朝餉(あさがれい)・何殿・何門などは、いみじとも聞ゆべし。

                           『徒然草』第二十三段より







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by kame-fukusima | 2017-07-22 20:03 | 古寺巡礼




青蓮院の庭は四つあるが、池泉回遊式庭園の造りである
「相阿弥の庭」と小規模ではあるが「霧島の庭」がお薦めである。
わたしは断然「霧島の庭」に心惹かれるものを感ずる。
凡庸な庭のようだが、懐に入ると、
ある時その意図がじわりと伝わってくる。
もう一方の相阿弥の庭とは相性がモウひとつのようである。
こちらは華頂殿の中から眺める(考える)庭のように思える。
※写真は三十年ほど前のものなので、庭園は様変わりしていることと思われる。




霧島の庭

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龍心池(相阿弥の庭)

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相阿弥の作庭と伝わる



何事も、古き世のみぞしたはしき。

今様は、むげにいやしくこそなりゆくめれ。

かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物(うつは)も、

古代の姿こそをかしと見ゆれ。

『徒然草』第二十二段より






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by kame-fukusima | 2017-07-21 04:55 | 古寺巡礼





錦繡の庭

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          よろづのことは、月見るにこそ、慰むものなれ。

          ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、

          またひとり、「露こそあはれなれ」とあらそひしこそ、をかしけれ。

          折にふれば、何かはあはれならざらん。

          月・花はさらなり、

          風のみこそ、人に心はつくめれ。

          岩にくだけて清く流るる水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。

                            『徒然草』第二十一段より






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by kame-fukusima | 2017-07-20 19:50 | 古寺巡礼





暑い盛りに紅葉とは、とひんしゅくを買いそうですが、
編集上の都合もあり、しばしお付き合いを願います。



「錦繡の庭」

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けして枝を揺すったわけではありません。朝一番に行けば(運がよければ)出会えます。








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            なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」

            と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。

                    『徒然草』第二十段より






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by kame-fukusima | 2017-07-20 05:01 | 古寺巡礼





春は霧島ツツジの赤、秋はモミジの紅葉。
どちらも苔庭の緑が引き立ててくれる。
遠州はそれを計算に入れていたのだろうか。
訪れる者は思わず目を奪われるような、
季節ごとに茶の湯に通じる一期一会のもてなし
を受けることができる。




霧島の庭 - 秋

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          をりふしの移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。

          「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、

          それもさるものにて、いま一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。

                                   『徒然草』第十九段より







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by kame-fukusima | 2017-07-19 20:06 | 古寺巡礼





青蓮院の庭を見た芥川龍之介は「青磁の器のような美しさ」
と言ったという。では、秋の庭園の美しさは何にたとえるだろうか。
「ところ」から思い至るのは、粟田焼のような錦繡の美とでも言うだろうか。
あるいは、小舟に乗り竜田川から眺める紅葉か。



霧島の庭

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小堀遠州の作庭と伝わる










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      人は、おのれをつづまやかにし、奢りを退けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。

      昔より、賢き人の富めるは稀なり。

          『徒然草』第十八段より










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by kame-fukusima | 2017-07-19 05:00 | 古寺巡礼






霧島の庭

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大楠

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長屋門

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        神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

        おほかた、ものの音には、笛・篳篥(ひちりき)。

        常に聞きたきは琵琶・和琴。

         『徒然草』第十六段







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by kame-fukusima | 2017-07-17 05:00 | 古寺巡礼