洛中洛外点描 さらば “ブルーノート“



クレオパトラの夢?

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昨年の秋のことであった。丸善書店で文庫本を購入し、数年ぶりに
“ブルーノート”へ行きJazzでも聴きながら本を読もうと思い河原町
通りを東に折れた。歩いて僅かの距離であるが、入居しているビルが
見当たらないし、ブルース・リーまがいのあの特徴のあるイラストを
描いてある看板も無い。たしかこの辺のはずと首を右に左に、上へ下
へと振ってみるがやはり無かった。
見当を付けたところには空き地があるばかりだった。

二十代半ばの頃、週に一度仕事を終えてから“ブルーノート”へ通い、
タンノイのスピーカー(オートグラフ?)とマッキントッシュアンプの
作り出す音に聴き惚れていた。タンノイはクラシックだろう、という
先入観は無かったせいか、いつしかあの音が私好みの音になってしまった
のだ。いつもリクエストするレコード盤はチャーリー・パーカー。たまに
バド・パウエルかジャンゴ・ラインハルトと決まっていた。ほかのプレーヤー
の名は知らなかったのだ。

週末には生演奏があり、市川 修のピアノ演奏は毎週のようにあった。
女性ボーカルでは、市川氏の奥さんやまだ女学生の雰囲気が残る大野えりがいた。
ママさんは、私の印象では “青江三奈“ 似の赤いルージュに巻き毛の印象的な
美人だったと記憶している。40年ほど前、遅い時間に友人と訪れたとき
たくさん話を聞かせていただいた。それが最初で最後の出会いであった。
それ以後は、店内に掲げられていた写真に向かい乾杯していた。今では、
ママさんも市川氏も彼岸の国へ先を越されてしまい、しばらくは会うこと
は適わない。
カウンターにはピアノの鍵盤が描かれていて、黒鍵はすり減っていた。
幾千人、幾万人の若者の指を受け止めていた鍵盤は、アルコールとともに
汗と涙と酔っ払いのよだれ(汚ないなぁ)が染みついていたことであろう。
それも今は昔・・・

京都市内では、バブル期を越えるような勢いで空き地が増え、道路際には
ホテルもしはく旅館、あるいはマンションが建つという白い表示板が掲示
されている。これも“アベノミクス“の成果なのか。

青春とは夢のように儚いものなのだろうか・・・
撮影年:2018



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by kame-fukusima | 2018-01-25 05:23 | 洛中洛外